山口功のブログ
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歴史検定(日本史2級)合格

昨年11月下旬に受けた、歴史検定(日本史2級)の結果が送られてきた。
勉強の成果がわかりやすい形で現れると、それはそれで嬉しいものだと思う。

関連記事は、こちら(日本史2級までの勉強)と、こちら(日本史2級受験後の感想)

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雑記

私は、艦と運命を共にする

「うむ、もはやこれまでか」

「は? まだ少しは持ち堪えられるかと」

「私は、艦と運命を共にする」

「じゃ、その前に退艦命令を」

「良い人生だった・・・
退職金は、ここに振り込んでくれたまえ」

「艦長!」

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雑記

日本人絶滅計画(教育編)

日本人の文化的な水準を低下させ、かつ主体的は何もできないようにするには、どうすればいいか?

まず、教育機関で、しっかりと主体性、ひいては人間性を奪うことが重要だろう。

小学校なり、中学校なり、高校なり、とにかく子供はほとんどの時間をそこに縛りつけるようにする。
学校外から、なんらかの刺激を受けたり、考え方の多様性学んだり、何かに憧れを持ったり、自発的に活動を始めないために、生徒たちを学校で「忙しく」させて「疲れ」させておいたほうがいい。
その上で、学校に来ない生徒は、強制的に連行して学校に来させるか、徹底的に弾圧する。反乱分子は早めに潰したほうがいい。

指示命令で極力自由裁量のない環境に置くようにし、宿題もぎりぎりやりきれないくらいの量を出し、自由時間を与えないように心がける。
教員は、身も心も金剛力士像のように威圧的な人を採用するようする。そして、そのような「抑えの効く」教員は賞賛する。
宿題の他に、部活なども、大いに役立つだろう。

勉強の内容においても、生徒の興味や習熟度とは関係なく一律で行う。
できるだけ難しく、内容が容易に理解できないようなものを、どんどん出すと良い。
一番いいのは、内容を理解できないレベルの難易度のプリントをただひたすら写し続けるみたいな、理解すらともなわなくてもいいよなものがいいだろう。

生徒の工夫やアレンジが見受けられる場合は、厳しく叱責するのがいい。
主体的に学ぶ意識や、自主的に行動を起こす力は、奪うようにする。

大学では、できるだけ現代っぽくて、表面的に派手でオシャレ風なものを、次々たくさん提示するようにする。
教員は学生を少しでも集め、就職率を向上させるために、専門性はあまり高くなくても良いので、やり手の営業マンのような人(地元企業にコネがあればなお良し)を採用する。
当然専門性は薄まるが、

「分野の枠にとらわれず、広く浅く、グローバルに活躍できる、教養ある人間を育てる」

などと、宣言しておけばいい。多くの人はそれで騙される。それで騙されない人はブラックリストに載せる。

1つの分野に長時間取り組むと、どうしても深みが出てくる恐れがあるので、その前に違う分野の入門授業に移行する。

入門授業(ヴィジュアル的に派手ならなお良い)をできるだけたくさんやり、広く浅く、というか、表面を滑ってるだけ、という状態を2年間なり、4年間なり、作り続け、それを教養だと誤解させてから社会に出す。

こうして、育成された人間は、

自主的に動くことはしないし、自ら考えることはしないし、世の中の真理や裏を探ろうとはせず、生きている意味も考えず、近視眼的で、影でブツブツ文句は言うこともあるが、表立って不正を糾弾することもなく、忘れっぽく、エネルギーも低いだろう。

このような人間で日本を満たすことができれば、日本人絶滅へ基盤は確立したも同然だ。

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雑記

外に向かう時と、内に向かう時の、バランス

人には、外に向かう時と、内に向かう時がある。


町を歩き回り、人と会ったり、交流して刺激を受ける。
まだ知り合っていない人、まだ行ったことない場所、まだ知らない分野・趣味、こういうものに接触してみる。

これは、外に向かう動き言える。


すでに集まった情報を整理して、深く考えてみる。
いつものルーティンの中で細かい工夫を積み重ねる。
ごく親しい人と語り合う。
いつもの散歩コースを回る。

これらは、内に向かう動きと言える。


この両方のバランスがかなり大切だろう。

外にしか向いていない人は、ひたすら青い鳥を探し続け、自分の中身は空っぽのままだ。
内にしか向いていない人は、風通しが悪くて、息苦しくなり、やがて化石になる。

鍋料理で例えてみるとわかりやすい。

スープの入った鍋に、肉や野菜を放り込んで、即座に取り出して食べたら、それは単なる生肉、生野菜だ。
逆に、水も何も追加せず何日も火を入れたら、黒焦げになるだけだ。

どの程度煮込むかは、人によって好みが違う。
ちょうど良いところを探りながら、柔軟に野菜を足したり、水を足したりすることが、求められる。


少なくとも、「そのコントロールを自分がする」という意識は持つべきだ。

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雑記

男子はどこへ消えた?

美術業界(特に教育現場や、若い世代の芸術家)から男子がどんどん減る。

私が芸大の学部生だった頃から、男子は少なめであった。
美術学部の男子率は、3分の1くらいだったと思う。

遡って、高校の美術部はどうだったかというと、まあ、こちらも3分の1くらい。

しかし今、身の回りの美術系の大学をみてみると、男子は15パーセント程度しかいなのでなかかろうか?
さらに、先日、とある県の複数の高校美術部(合計100名以上)の男女比を知る機会があったのだが、男子は8パーセントであった。

身近にいる若手作家でも男子は少なめである。

なぜか?

よく言われるのは

「不景気だから、金儲けに直結しない分野に稼ぎ手である男性は進出できないんだよ」

という意見。

しかし、男性だけ働いていればいいという時代では無くなっているおり、女性も金儲けしなくてはならない世の中になっている。
根強い性別役割分業意識のために、若干男子が減るのが早いのかもしれないが、しかし女子も金儲けに直結する分野を選ぶことになるとすると、女子も減るので、これほどまでに男女比の極端な偏りは生まれないのではないだろうか?
女子の総量は微増しているようにすら感じる。

もっと大きい視野に立てば、これからどんどん機械的な作業や事務的な作業はAI化されていく、相対的に、最先端の技術者・学者か、クリエイティブなことをする人の価値は高まる。
だから、将来を見越せば、芸術分野に取り組む人は増えるはずだ。

もっとも高校の部活に、将来の職業をみこして入る生徒は少ないだろうし。

でも、男子は減っている。

男子の方が旧時代からの思い込みが激しく、視野が狭いのだろうか?
共働きが標準になったのに、性別役割意識が強化されているのか?

男子はどこへ消えたのか?

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美術

一般常識とはなんぞや?

採用試験なり、何らかの資格取得試験の1科目なりに、

「一般常識問題」

という科目がある。

これが、とても不可解である。
「一般常識」とは、なんぞや?

「従業員は店頭の商品を盗んではいけない」
「勤務時間が終わる前に、勝手に帰ってはいけない」

とか、そういうことを知っているかどうか試されるのだろうか?
それとも、

「神社でのお参りの仕方は?」
「結婚式に呼ばれた時にいくら包むか?」

などが、問われるのだろうか?

それとも九九とか、分数の足し算とか、常用漢字の読み方とか、そんなことも範囲になるのだろうか?

重大な被害をもたらした台風の名前とか、
現役アイドルの名前が問われたりするのだろうか?


「一般常識」という言葉が、もはや、かなりレトロ感じがする。

みんなが知っているコト・モノ・ヒトが、少ない。
柱とする価値観も揺らいでいる。
何を一般常識の範囲に入れていいのか、判断するのは難しいだろう。

まあ、いちばんの問題は、その「一般常識」という科目をどう勉強するかだ・・・。
範囲がよくわからないと勉強しにくい。

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雑記

有意義に語る方法

何かしら、深い、意味のある、議論が生まれそうな、話をするには3つの要素が必要なのではなかろうかと考えている。

◇ 知識  (経験から得られるものも含む)

むろん、知識が無いと話が始まらない。
しかし、知識で話倒すと単なる「知識ひけらかしおじさん」になる。

◇ 要約力 (説明力と言ってもいい)

相手の反応を見ながら、相手が知らないと思われる知識をわかりやすく要約して伝える。
どの程度どこを手厚く説明するか、どこを省略するか、無駄に知識を並べると話がわかりにくくなるだけなのでダメ。
例え話がうまく使えるとよろしい。

◇ 自分の意見の主張 (や問題提起)

これが無いと単なる、「わかりやすい説明」で終わってしまう。
(もっとも、学校の授業で先生がしゃべる場合はそれでも良い)
しかし、説明はあくまで前振りで、そこで、知識(と経験)を自分なりに組み合わせた主張を行うこともある。
その際、その根拠で主張を補強したりする。

この3つが揃ろうと、とりあえず、有意義な語りをしていることになるだろう。

さらに、それぞれのレベルが上がれば、素晴らしい議論が展開されるようになる。

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雑記

静かに過ごす年明け4日

本年末年始は、制作をしない期間なので、

普段やろうやろうと思っていて、やり残していることに取り掛かっている。

読んでいないペーパーバックを読んだり、11月下旬に受けた日本史検定の問題をきちんと見直したり、放送大学で今履修している科目の過去問を解いたり、3Dソフトをリサーチして、少し試してみたり、(ミサカは、ミサカは、)

あと、「薔薇の名前」(映画)を借りてきて観た。

これは、かつてウンボルト・エーコの小説(原作)をペーパーバックで読もうとして、あえなく撃沈したが、それなら映画を見るべきだろうと、ずっと思っていたのある。

推理物(ミステリー)とも言えるが、それ以上にカトリックが支配する中世ヨーロッパの雰囲気が味わえる。

ウンボルト・エーコは、学者らしくそのあたりの時代考証をしっかり行い、原作を書いて、それは映画にも反映されているのだろう。

それゆえ、言語的にも、キリスト教にも深い知識が求められる原作を読むには、私の英語力や知識では歯が立たなかったのだろうと思われる。

話を映画に戻すが、「本」が重要なアイテムとして登場する。
知識を求める者は、本を読みたいという欲求を持っている。
火事になっても、逃げる前に、持てる限りの本をかき集める。

今、火事になって、本を守ろうとする人はいるだろうか?
現代社会で、手書きの本(貴重な写本)を持っている人は少ないだろう。
本屋で買えるものは、そもそも何部も刷られている。
本は、毎年死ぬほど世に出される。
とてもではないが一人の人間が読みきれるものではない。
火事になったら、本は放っておいて即座に逃げる方が賢明だ。

現代人は、スマホ引っ掴んで逃げるのかな・・・。
そこに英知はあるのかい?

個人情報はあるでしょうけどね。

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雑記

The Giver

久々に、アメリカ児童文学作家ロイス・ローリーのニューベリー賞作品、"The Giver"を読んだ。

この作品ですごいと思うのは、設定である。

歴史や過去の記憶、特定の認知は時として、争いや差別、不平等を生む。
商品経済は時として無駄が生じるし、強い欲望を生む。

肌の色の違いを認識すれば、そこには差別が生じる。
過去の戦争の歴史や記憶をしれば、そこの憎しみが生じるかもしれない。
貧富の差も同様である。

「そういうものを無くしてしまおう」という選択がされた社会がこの作品の舞台である。

そしてそれは、人類の記憶と特定の認知を一人の人間がすべて引き受けることにより、成立する。

そんな、設定である。

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読書

2時間独りでいるという経験はいかがでしょうか?

独りになる時間を作って見みてはどうだろうか。

インターネットに繋がっていると、独りにはなれない。

スマホを家に置いて、独りでカフェかファミレスにでも行って、2時間過ごしてみたらどうだろう。

一冊だけ本を持っていくとしたら?
ノートと鉛筆だけで、2時間過ごすとしたら、何を書くのか?

賢い人間になるには、情報や道具を制限することが大切になっている。
かつてない、事態だと思う。

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雑記