山口功のブログ2018年02月
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デッサン力を極める

「デッサン力(でっさんりょく)」というのは、絵を描く技術の1つである。

デッサン力向上のトレーニングとして、美大対策予備校などでは、石膏像やリンゴやブロック、パイプ椅子と人物などを、鉛筆や木炭などをで描きまくったりする。
2年、3年と続けると、結果的に、高いデッサン力を得ることができる。

しかしその後、その技術を使うような作品を作らなければ無駄になるのだろうか?
絵を描くのをやめて、立体作品を作るようになったらどうか?
小説家になった場合は、そのトレーニングは無駄になるのか?
作品を作らなくなったらどうなのか?

絵画制作の1つの技術としてのデッサン力は確かに、かなり限定的な技術に過ぎないが、
極めると、この技術は非常に人生を豊かにする。
少なくとも、複眼的になり、視野が広がり、ものごとがよくわかるようになる。

究極的に、デッサン力は

1 部分的な仕事をしつつも、常に全体を意識し、把握する能力
2 わずかな兆候から、そのモノ・コト・事象の本質を見抜く能力

といえる。

「え、〇〇さんと、付き合っているの知っていたの?
誰も気が付いていないと思っていたのに」

「それが、私のデッサン力よ」

美大生、美大出身者の間では、このような会話がなされたりすることがあるが、
この場合、2番目の意味で使われているわけである。

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雑記

英単語カード9000枚

早く起きたので、4時半から2時間弱、単語カードを回した。

3年ほど前から、英単語カードを作り続け、そして回し続けている。

スタート地点で、TOEIC900以上、英検準一級であった。
そこから、2万語の単語力を目標とすると、
逆算して、14400枚のカードを作り、それを覚えればよいということを割り出した。(固有名詞・イディオム・フレーズ・ダブリなどを考慮に入れたので)

今、約9000枚カードができている。
すらすら回せるのは、65%くらいで、まったく回していないのが10%ほど。

カードの枚数だけから計算すると、英単語カード作戦63%までたどり着いたことになるが、
覚えた単語カードを指標に計算すると、41%ということになる。
間をとると、52%か。

いずれにせよ、折り返し地点付近だ。
ここまでくれば、あとは時間の問題。

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英語

雇用の保証という前提?

雇われている側の発想として、「雇用の保証とか安定」を当然の権利として、雇っている側に求める意識が根強くある。

私は、それが不思議だと思う。

そもそも、保証などできないだろうし、
無理に保証しようとして、需要のない仕事を続ける羽目になったりすることは、不健全だ。

長い目で見れば、雇っている側も、雇われている側も、社会全体に対しても、サービスの利用者に対しても、悪影響を及ぼす。

もっと柔軟に動いた方が、自分のためでもあり、世のため人のためでもある。

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雑記

ある意味、チャンスだ!

おもしろい時代に生きていると思う。

世の中の激変を目撃している。

黒電話から、スマホの普及までを目撃しているし、
ワープロや、PC98から、カセットテープ、MD、最初のファミコンも知っている。

私が物心つく前は、バブル期で日本全体が右肩上がりだったようだが、その後空中分解して、今は、分裂しつつ落下しているのではないだろうかと思う。

ひと昔の価値観では世の中がうまく回らなくなったが、多くはその価値観を堅固に保っている。
多くは、この激変に対応できていない。

ここらで、全く新しい考え方で動き始めないと、衰退あるのみである。

新しい動きを始めるには、いささか元気のない時代であるが、しかし、わかっている人には動き出してもらいたい。

ある意味、チャンスなのだ。

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雑記

そもそも、どんな人間になりたいか?

まず、どんな人間になりたいかを、イメージすることが最も重要だ。

次に、職業的なものが割り出される。
こういう人になるためには、こういう仕事が有利だ、ということである。
もしくは、こういう人になるために、こういうことしていたら、結果的に仕事としても成り立った、ということもあるだろう。

同時にどのような技術が必要で、どのようなトレーニング・勉強が必要かが割り出せる。
そうしたら、そのトレーニング・勉強計画を立てて、中間目標を設定する。

これが、基本形である。
多少の変形パターンはあるだろうし、行きつ戻りつすることもあるだろうし、ガラッと変わることもあるかもしれない。

ただ、逆をやってはいけない。

「期末テストが近づいて来たから、テスト範囲勉強してます」
「どこの大学ならいけますか? あ、じゃあ、そこ行きます」
「どのなら就職できますか? あ、じゃあ、そこ就職します」
「どんな人間になりたいか? ・・・公務員やってますけど」

いや、別に公務員がいけないと言いたいわけではなく、
とにかく、こういう思考パターンになるのはよくないということ。

よくないというのは、自分の人生を生きられないから、よくないという意味である。

自分の人生の主導権を自分で握るためには、まず、どんな人間になりたいかをイメージすることから考えるべきだ。

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雑記

表面的な体裁を取り繕うだけでいいのか?

自分の、伝えたい「こと・もの・気持ち」(コンセプト)を認識して、
それを、世の中に伝えるためにはどうすればいいかを考え、
その結果として、作品を作り上げる。

これが、芸術作品の基本的な構造であるが、
芸術作品と呼べるからには、さらに以下の点を満たしている必要がある。

[ムダがなく、効果的]

プロの芸術家なら誰でも、

「まあ、それは基本だね」

と言ってくれるはずである、その上で

「でもこういう時は〜」とか
「こういう例外が〜」とか
「この要素も〜」

などと言う人はいると思うが、それは、あくまで基本があってのことである。

学校の授業で、この基本を教え(授業2コマ分あれば余裕を持って教えられます)そして、
一通りのプロセスをすべて体験してもらうということをすべきである。

結果的に、完成度の高いものができなかったとしても、それはそれで大した問題ではない。
表面的になんとなくそれっぽいものを作るよりも、

「一人でいろいろ考えていたら時間がなくなってしまいました」

という方が意味のある経験だ。

そもそも、教科としての「美術の時間」では、時間が足りなすぎて、完成度の高いものなどはまず作れない。
いきなり、技術的完成度に飛びつくのはほとんど意味がないのである。

学校では、ごくごく表面的な体裁よりも、自分で深く考える機会を提供するべきであるし、
それは美術表現の基本的構造でもある。

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美術

理想の先生は「抑えが効く」

「先生に、理由を聞いたり、質問したりするのが怖い」

中学校・高校はどこでもそんなところなんだなあ〜、と実感することが多い。

私自身、学校で教えていたことがあるのでその雰囲気はよくわかる。
生徒ときちんとコミュニケーションを取ろうとする姿勢をみせると、他の先生に白い目で見られる。
職員室で「生徒がこういう質問、提案をしていますけどどうでしょうか?」などと言おうものなら、それはもはや非常識であり、内容以前に、呆れられること間違いなしだ。

職員室では「抑えの効く先生」というのが、最大の褒め言葉である。

生徒から異議が一切出ない雰囲気を強力に作り出す。
「私に逆らう者はおるか!?」
そして、生徒が怖気付いて黙ってしまうと、それは、非常に能力の高い先生の証である。

学年主任になったり、校長になったりする。

新任の先生でも「抑えが効く先生」は、評価される。
「抑えが効く先生」は、目指すべき理想像と、ほぼ全ての教員が認識している。

しかし「抑えの効く先生」は、生徒を抑えることしか能がないとんでもないアンポンタンである。
学校の先生の多くは、生徒を踏みつけながら、埃のような誇りを感じつつ、アンポンタン街道をまっしぐらに、何十年も爆走していくのである。

そんなアンポンタンに付き合うのは人生の損失と言えるだろうし、人間性も損なわれるだろう。

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雑記