山口功のブログ2017年09月

便利に飲み込まれる人ではなく、便利を利用する人へ。

人間はひたすら楽な方に、負荷の少ない方に流れるものだな〜、と思う。

技術が進化すると、それに頼った方が楽なので、そうする。

地図なんて、読めなくてもい。
スマホがあれば、世界中どこにいても行ける。

免許を取ったら、車に頼ってほとんど歩かなくなる。
自動運転の車が登場したら、おそらく3年程度で、ほとんどの車が自動運転になるだろう。
免許はいらなくなる。

多くの人は、車を運転したいから車に乗るのではなく、移動したいから車に乗っている、そして楽な方を選ぶ。

シンプルな流れだ。
このような、流れがいたるところで発生しているのだろう。
楽な方に流れきると、そこには何が待っているのか。

「負荷のかからない世界」が立ち現れてくる。

それは、身体的な負荷だけでなく、知的な負荷も無くなるということだ。
そして、人間関係の負荷もかなり軽減されるだろう。

きっと、その頃の人間は、みんな「ボーとしている」のだろうな。

信念、目標、理想像、正義

これらを持ち続けないと、人間でい続けることが困難になりそうだ。

便利に飲み込まれる人ではなく、便利を利用する人へ。

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雑記

外向環境短期型と、内向世界観長期型

一部の芸術家は、

国内外のレジデンスプログラムを渡り歩くとか
取材でいろいろ飛び回り、多くの人と会って話をしたりする。

この手の芸術家は、友好的で、業界の人物や団体のことをよく知っていて、語学(というかコミュニケーション)も堪能で、インターネットを有効に使う。
いかにも、「できる人」であり、こりゃすごいなあ〜、と思ったりする。

私は、この手の芸術家を、外向的で環境優位で短期決戦型、略して、外向環境短期型と呼びたい。

一方、真逆のタイプは、内向的で自分の世界観優位、長期戦型、略して、内向世界観長期型といえよう。
この手のタイプの芸術家は、自分の内側に目を向け、自分の世界観を煮詰めて、じっくり取り組むタイプである。

私はどちらかといえば、こちら側であろう。

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美術

第223回(2017年9月10日)TOEIC感想

第223回TOEICを受けてきた。

久しぶりの受験であるが、古巣に戻ってきたような感じがする。
いつのまにか「受験のしおりのイラスト」が変わっていた。
個人的には前の方が好きだったのだが。

私の受けたフォームは、一枚目の写真が、室内でバックパックを持ち上げているおじさん。

Part1   今回特に引っかかるようなものはなく、迷わせるようなものもなかっとのでは無いかと思う。
Part2  普通 2、3問、空気を読んで答えるみたいな微妙なものが 。(間違えの選択肢が明確に違うので消去法で、これでいいのか〜、と気がつくことができる)、それ以外は、とりたてて難しいという印象もない。
Part3  やや難 後半、先読みのペースが乱れた。パート3は増えので、集中力を維持するのが難しくなったと思う。さらに、ヴァリエーションも増えたので、それに慣れて自分なりの解く型を持っておくことが大切である。
Part4  普通 グラフィック問題はそれほどでもなかったが、所により、全く状況を掴めないものがあった。崩れた時に総崩れにならない精神力が必要である。

Part5  やや易 素直な問題ばかりだったように思う。引っかかるものはなかった。
Part6  やや易 文選択問題で迷うようなものはなかった。間違えの選択肢が明らかに間違えである。
Part7(S) 普通 文章の少ないものが減ったが、やたらと多いのも無い。
Part7(M) やや難 時間が足りなく、最後の4問が塗り絵になった。

今回、リスニングセクションで今ひとつ集中力が上がらず、Part2以降、ちらほらつまずいた。
一方リーディンセクションは自分としては塗り絵が少なかった。
ほぼベタ読みで、おそらくそれなりの正解率で取り組めたろうと思われる。
もしかしたら、今回のリーティングセクションは読む量が少なめだったのかもしれない。

会場は、リーディングセクションの途中からだいぶエアコンが効いてきて、厚手の長袖を着てきてよかった〜と思ったが、それでも最後の頃には、お手洗いに行くたくなった。
テストが終了してから問題冊子解答冊子の回収と数の確認をする10分くらいは、まだ外に出られないのですよね。
実質的には、2時間45分くらいは、お手洗いに行けないと考えておいた方がいい。

神崎先生のTBRはこちらから、20:00スタートとのことです。
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英語

何か目標や信念があり、そこに向える自信や希望があり、それゆえにその過程に生じる苦労を引き受けることができる

「最近の子供・若者はメンタルが弱い」

という言葉を耳にする。
そして、それに付け加えて、

「私たちが学校や大学行っていた頃(会社に入った頃)は怒鳴られたり、殴られたりして、鍛えられたものだ」

などと言ったりする人もある。

「怒鳴られたり殴られたりすると、メンタルが強くなるのだが、今日日の若者は、それに耐えられずに、精神的に異常をきたすので困ったものだ」

という認識があるのだろう。

しかし、これは間違えである。

メンタルを強くする・・・、というかメンタルが強いというのは、

【何か目標や信念があり、そこに向える自信や希望があり、それゆえにその過程に生じる苦労を引き受けることができる】

という状態だと思う。
かつて、どこぞの社員(社員といえば正社員で、それ以外はほとんどいなかった)になって、年功序列的に収入も上がり、生活が楽になり、豊かにもなる、という希望が共有されていた時は、たとえ貧しくとも耐えることはさほど難しくもないだろう。

神田川な状況を忌み嫌うこともないのである。
怒鳴られても、殴られても、それが死ぬまで続くわけではなく、だんだん偉くなって、(やろうと思えば)同じ会社で怒鳴り、殴りながら社員教育をする立場になると思い込める。

しかし、今はそうではない。
社会全般に共有される希望や、王道と思える目標みたいなものは無いのだ。

まず始めに、目標や信念は個人的に設定しなくてはならない。

メンタルが強い状態を作り出したいのなら、その大切さを伝えることが大切である。

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雑記

自炊はいいものだ。

私の場合、自炊したとろこで、それほど食費の節約にはならない、という結論に至る。

よほど工夫したりすれば、それなりに節約できるかもしれないが・・・、そこまでは頑張れず。

私は1ヶ月すべて自炊実験をしたところ、1万円の節約しかならなかった。
1万円も節約できたのなら、それは優秀だと、思われるかもしれないが、ガス代は5千円アップしたのである。

しかし、やはり自炊はする。

好きなものを好きなだけ作って食べると、幸せを感じる。

蚊取り線香をベランダでつけつつ、窓を開け、
放送大学の講義や、YouTubeで日本史の授業とか、落語などを聞きつつ、
料理をして、それを伸び伸び夕食を食べるのは、果てしなく自由で、幸福だ。

自炊は、心のバランスのために必要であろう。

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雑記

判断は保留、もしくはポジティブ予測・解釈

人間が違えば、それは、人格が違うのだから、感覚も習慣も常識も価値観も違う。

それは親しい間でも、親子兄弟でも必ずある。

自分の常識からずれた行動を相手が行った時は、不可解に感じることもあるだろう。

そういうことは、よく生じる。
親しい間では、それなりの頻度で生じるだろう。

その時に、心がけるべきことは

「なるべく判断を保留する」

保留しにくい時は、
「なるべくポジティブに予測・解釈する」

ということである。

その方が、おおらかに落ち着いて、生きていけるだろう。

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雑記