山口功のブログ2017年05月

シャドウイング時の工夫、その2

シャドウイング時の工夫、その2

映画などで、英語話者が話しているシーンを見てみると、口の動きが非常に大きいことに気がつく。

仮に私が耳の全く聞こえないアメリカ人だったとしたら、きっとその口の動きから何を喋っているのか読み取るのは簡単なのではなかろうかと、思うのである。

一方、日本人が日本語を喋っているシーンを見てみる。

口の動きが小さい。
映画でもそれだから、実際の日常場面ではもっと小さくなるだろうから、耳の聞こえない人は苦労しそうだ。

そういう印象を持って、鏡の前でシャドウイングして、目では自分の口の動きを見てみる。

英語話者っぽい口の動きになっているだろうか。

この時、必ずしも一音一音、正確な口の形かどうか、などを意識しなくてもいいだろう。(そもそもそれは、別の勉強やトレーニングが必要だろう)

なんとなくの印象が、英語話者っぽい動きかどうかを意識しるだけで、いくらか発音が改善されるように感じる。

耳の聞こえないアメリカ人が、そばで自分の口元を見ている。
この程度の口の動きで、読み取ってくれるだろうか?

そんな意識をもってシャドウイングを行う。

ぜひ、お試しあれ。

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英語

シャドウイング時の工夫、その1

シャドウイング時の工夫、その1

英語学習者なら、当然知っているであろうトレーニング方法「シャドーイング」。

私は毎日20〜30分は取り組んでおります。

シャドウイングに慣れてきたら、おすすめしたいのが、ヘッドフォンを片耳だけにして、付けていない片耳で自分の声を同時に確認するという方法。

音の反響する場所で行うと効果的だと感じます。
私はお風呂場で行います。

英語学習が板についてきたら、ぜひお試しあれ。

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英語

異文化コミュニケーションの心得

基本的に人と関わるということは、異文化コミュニケーションだということを念頭においたほうがいい。

これは、同じ日本人同士の場合でもそうである。

近年、高校生や中学生の中でも学年が違うだけで、恐ろしく常識が違ったりする。
また、地域や学校、職種によっても全く常識が違う。

この異なり方は、それなりに大きくい。
特に世代間のギャップはこれから激しくなるだろう。

そうすると、自分の常識で他者を判断、評価したり、理解しようとすると、大きな食い違いが生じる。
さらには、無駄にがっかりしたり、腹を立てたりすることになりかねない。

だから、自分の全く知らない国の人にあった場合と同様に「文化的な隔たりがある」ということを念頭に置いておいた方が、結果的にうまくいきそうだ。

「それ、非常識でしょ。バカにしてるのか!」

と、思う以前に、

「この人の常識からすると、これは敬意を評しているということになるのかもしれない」

と考える。

よくわからない場合は、とりあえず保留にする。
様々な可能性があり、そういうことを考慮において、判断を下す必要のないことはできるだけ保留にしておくというわけだ。

はっきりさせなくてはならないことは、言葉できちんとはっきりさせる。

そのくらいの心構えを持った方が良さそうだ。

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雑記

ちょっとした成功体験を得て、素直によろこべ!

まずは、成功体験を得るというのが、思いの外大切なことだと思う。

人生を能動的に生きて行くため、あるいは、何かしらで大きな成果を上げるためには
「根拠がなくとも自信がある」
という自己肯定感を持っていなくてはならない。
(たいていの場合、そもそも確固たる根拠など得ようはずがない)

それは、ある程度自分自身の「成功体験」の数に依存する。

それが、極端に少ない人は、焦らず小さな成功体験を得るように、ごく単純なことを継続してみるといいだろう。

私は1ヶ月くらい前に、とあるスポーツマンから
「ストレッチをして体を柔らかくすると、疲れにくくなっていいですよ」

という言を聞き、生まれて初めて自発的にストレッチなるものを始めた。
体はどちらかといえば硬い方だろうと漠然と思っていたが、初期値ははっきりいってどうでも良い。

ストレッチ自体は放送大学のネット配信の講義を聴きながらしたりできるので、結構頻繁にやって、3週間たったが、これが予想以上に成果が上がった。
疲れにくくなるかどうかは今のところ、なんともいえないが、しかし、反動なしの前屈で指先がぎりぎり床につくところまで柔らかくなった。
初期値は床から5cmも離れたいたので、このままいったら、3ヶ月とただず、掌が床にぺったりつのではなかろうかと。

こういうのも「ちょっとした成功体験」である。

ところで、このような成功体験を経験している時に「人と比較する」のは愚かだということを付け加えたい。

「自分が努力して、少なからずその成果が出た」ということを喜べばよく、
もしくは
「成果が出ているかどうかはまだわからないが、努力を継続できている自分」に感心すれば良い。

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雑記

予備を揃えるという発想

*置き勉の禁止*

というのは、つまり、学校に教科書や資料集、問題集、単語用語集、ノート(もしかしたら、辞書も)を置きっぱなししてはいけないということである。

どうして、そんな規則を打ち出すかといえば、家で勉強しなさい、という意図が込められているのだろう。
しかし、今や規則だけが形骸化してしまっていて、無意味に書籍類を日々運搬する義務を課している場合もある。

私は学校に勉強道具を置いておくこと自体、悪いことではないと思っている。
学校に必要な教科書などを持ってくるのを忘れてしまうというのが、最悪の事態なので、それに備えておくという発想。

明日の授業を確認し、時間割変更なども考慮に入れて、明日の持ち物をカバンに入れるということは、少なからず忘れるリスクも生じる。それを警戒して毎日全教科持って行くというのもあまりに疲れるだろうし。(筋トレにはプラスになるかもしれないが・・・)

では、家では勉強しなくてもいいの?
と思われるかもしれないが、家では家用の教科書類を揃えておけばいい。

特に自分が力を入れている教科の教科書、受験対策として使う問題集や単語帳はいろいろなところに置いておいても損はない。

どうしても、一冊しかない自分で作ったオリジナルなノートや、先生が配ったプリント類、あまり使わないけど今日は家でも確認したいと思うテキスト、そういうものだけ持ち帰る。
家では家の勉強道具を揃えておく。

こうすると、忘れものをするリスクを低下させることもできるし、荷物も軽くなる。(筋トレにはマイナスかもしれないが・・・)

単語帳や死ぬほどやりこむつもりの問題集は、トイレや、風呂用にさらに一冊あってもいいかもしれない。3冊くらいあれば、バラして折って、ポケットに入れて、レジで並んでいる程度の隙間時間でもすかさずチェックしたりできる。

こういう本は、卒業した先輩が捨てていったものや、おねいさん、お兄さんからもらったり、もしくは、古本屋で安く出ているものを使うなど工夫すれば、気兼ねなく使える。

「メインで使っている勉強道具は、予備があってもいいのではないか」
という発想を提示したい。

あくまでも、目的は自分が効率的に勉強し、なるべく成果が出るように環境をセッティングすることにあるのだ。

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雑記

自分が上達して、かつ録音機もよい、でもスピーカーは

この1年、日々1時間ひたすら英語の音読(シャドーイングやオーバーラッピングも含む)を行なってきた。

扱った素材は
放送大学の印刷教材(テキスト)3冊
東進のレベル別問題集(主に3〜5)

である。

このところ、自分の声を高精度に録るために、楽器の録音に評判の高い、リニアICレコーダー【タスカムDR-40】を使用している。
始めはオリンパスのICレコーダー【V-803】を使っていて、それもかなり良かったのだが、タスカムの方がよりプレーンで高解像度なので、トレーニングの確認には良さそうだし、なにより存在感があるので、がっちり録っているという感じがして良い。

問題は、確認用のスピーカーである。

現在、OMAKERの【M4】を使用しているが、どう考えてもタスカムの威力を発揮できていない。

このスピーカー、少人数の授業で使うとか、ブルーツゥースでパソコンから音を飛ばして、風呂で講義を聞いたり、台所で音楽聞いたりするのには優れている。

しかし、音そのものについて考えると、録音機との釣り合いが取れない。

だからと言って、ほいほい買うと、泥沼にはまりそうだな。
「こんなにいいスピーカー買ったんだから、マイクはやっぱり外部マイクにして、これにしたら・・・」

とか、きりがなくなるパターン。

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雑記

とにかく落ち着け、しかし居座るな

素直に聞くことと、自分のやり方を通すこと、どちらが良いことなのか?

私はそのバランスをコントロールすることが重要だと思う。

世の中にはひたすら自分のやり方を続け、人の意見には耳を貸さない人がいる。

英語の勉強で、CD(音を)活用して学習した方がいいよ、と言っても結局一回も聞かないで、ただひたすら文法問題集だけ解いていたり、する人などはそうかもしれない。

もっとも、全くやらないよりは自分の能力は伸びるのだが、あるところから成長はほとんど止まってしまうだろう。

逆に、人の意見を聞きすぎる人もいる。

英語学習には音読がいいと聞いたら、それをやってみる、しかし3日後にはその音読素材はほっぽらかして、新しい単語帳を買ってきて単語覚えている。なぜかとういうと知り合いにやっぱり単語だよと、言われたから。
一週間後に会った時は、そもそも英語学習はやめていて、なぜか韓国語をやっている。次に会ったら、それもやめて、漢字検定2級にむけて勉強していたりする。

こういう人は多分何も身につかない。まあ、楽しければ良いという考え方もあるが。

ある程度の期間は自分のやり方を通す、そしてそのルーティンが板についてきて、その後、効率の低下を感じたら講師の進める新しいやり方を試してみる。

このあたりの勘所が、自分の能力を向上させる上で大切であり、難しいところでもある。

一般には3ヶ月続けると何らかの実りが得られるものであるが、場合によっては半年かもしれないし、1年かもしれない。

とにかく落ち着け、しかし居座るな。

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