山口功のブログ2016年12月
Entry Navigation

持ちネタを増やす意識

勉強を実りのあるものにするには、

「持ちネタを増やす」

という意識が大切である。

例えば、噺家(落語家)が、師匠から「子ほめ」を教えてもらって、それを高座で演じる。
そして、次に「豆屋」の稽古をつけてもらって、それを演じるころには「子ほめ」は忘れかけてて演じられなくなる。
次に「じゅげむ」を稽古する、その時には「子ほめ」はすっかり忘れて演じられず「豆屋」も忘れかけている。

常に、今習っていることしか出来ない状態になる。

というのは、あまりよろしい状況ではない。もちろん、成長はするのだが、それは限定的である。

「じゅげむ」の稽古をしている時にも「子ほめ」「豆屋」は持ちネタとして、すぐに演じられるようにしておくべきである。

もっとも、学校の勉強とかだと、そういうことを考える余地も与えられないほどに、次々に教材や課題・宿題を与えられて、それを追いかけるので精一杯ということになってしまうかもしれない。

ことに受験では「持ちネタ」が試されるので、いくらたくさんやっても、持ちネタになっていなければ、解ける設問は常に1つのみ、みたいなことになってしまう。

そのあたりを考えられると、受験はもとより、あらゆることに確かな技術を身につけることの出来る人になれる。

ひいては、必要性に追いかけられるだけの人生から脱することがでる。

category
雑記

「尊敬のし直し」by玉先生

玉先生の「マジ玉ラジオ」を聞いていて、確かにそうだな、と思ったことがある。

要約すると、

「パートナーをバカにしている夫婦は、長い目で見ると双方とも幸福であるとは言えず、子育てにも良い影響はでない」

ということ。

確かに、奥さんがひっきりなしに夫の無能さを宣伝しまくっている、なんてこともあるかもしれない。(しかも夫が目の前にいてそういうことをする)

もちろん、その逆もあるだろう。

そういえば、漫玉日記(玉つながりで…)でもそんな描写があった。
レストランに入った時に隣のテーブルの夫婦がそのような感じだったので、イライラして食べる気がしなくなったみたいな。

確かに、そういうのは、いかがなものか、と。
まわりや、けなされている方も当然だが、もしかしたら、けなしている方も不幸なのではなかろうか、と。

玉先生が言うには「パートナーはほめて育てる」くらいに思っておいた方が良いとのことであるが、それはまさにその通りなのだが、この行為を「尊敬のし直し」でもある表現したところに、これはなかなか深い意味が込められているな、と思ったわけである。

まあ、自分の意見を建設的に相手に伝えるということは大切であり、おだてているだけでよいというわけでないのであるが、根本的な姿勢にこのような感覚があるペアは、はたから見ていても気持ちのいいものである。

category
雑記

「英語で読む科学」を音読

ここ2ヶ月半、放送大学の教材「英語で読む科学」をひたすら音読(シャドーイングも含む)している。

年内になんとか5周目が終わりそうである。

各周、15回程度は音読(シャドーイングも含む)を行っているので、1文章につき70回程度行ったことになる。

1周目はかなり負担が大きかった。
2~3周目もあまり変わらず、ところが4周目から一気に楽になって来たようなところがある。

それを越えると、今度は体にしみ込んでくる感覚が得られる。つまり、3周目(40回あたりまで)は下地作りで、4周目以後は血肉になっていく、といったところか。

4~6周はもっとも実力の強化になるだろう。

7周目以後、100回を越えると、やり方や意識を微妙に変えつつ取り組まないと効果が落ちてくる。
つまり、それだけ学べるものは学んだ状態になったということだろうが。

工夫としては、アナウンサーのように出来るだけ前を向いて音読する。
つまり文章を見る時間を出来るだけ少なくする。

究極的には、暗唱する。

3ヶ月とか、寝かせてから再度読む。

などなど。

きちんと自分の実力にするには、1冊の教材を何度も繰り返すことが大切である。

昨年のちょうど今くらいの時期に「英語で描いた日本」の音読を開始して、それから、ほとんど毎日1時間くらいは英語の音読もしくはシャドーイングを続けて来た。

あと、さらに1年くらいは続けてみようか。

category
英語

努力をする余地があるかどうか?

一般的な話として、将来のことに対して不安を感じることなどが、多くの人にはあるだろう。

その時に「不安」を分類することが大切だと思う。

「大学入試で失敗するかもしれないという不安」であれば、それは努力の余地が大きい。

具体的に何点必要で、何点足りないのか、どこが点を上げやすいか、あと何日で、どういう教材にどのように取り組むのが効果的か、それは、計画が立てられる。計画を立てたら不安は和らぐだろう。まあ、そのあと計画を実行に移す必要はあるが。

では「就職先の上司と相性がいいかどうかという不安」ならどうか、

この不安に対しては努力があまり出来ない。

で、その場合はどうすればいいか。

「まあ、相性のいい上司に出くわすだろう」と楽観的に考えることが大切である。

この場合、ポプランの名言じゃないが「人生を甘く見ること」が非常に重要で、努力でどうにか出来ない状況では、楽観的に考えられる人間の方が結果的にうまく生きることが出来るし、何事にも成功する確率が高い。

「人生は甘くない」と主張している人は、結果的に常にストレスを受けて、やるべきことがコンスタントに出来ず、さらには挑戦することも避ける傾向にある。あまり幸福な人生は送れなそうだ。

出て来た結果に対して、対策できるところは対策すればよいし、改善するところは改善してまた、ぶつかっていけばよい。

category
雑記

どこから描き始めているのだろう?

絵を観に来てくれた人から、たまにされる質問がある。

「これはどこから描き始めたのですか?」

自ら作品を作っているような人は、このような質問は普通しない。
どこから描き始めるか、それは重要でないので、覚えていないのである。

一筆描きの作品なら、まあ、いくらかは重要かもしれないが、少しでも手数が入るような作品であれば常に全体を見渡しながら進めるし、始めに筆を置いたところにも、その上から何度も筆を重ねることになる。

それは、誰かの家に招かれて、庭に積もった雪を観て、そして「ずいぶん積もりましたよ。雪だるま作れますよ。」などとその家の人に言われた時に

「始めの一粒はこの庭のどこに落ちたのですか?」

と聞くようなものである。
それは、たとえ見ていたとしても、気にしてはいないし、まして覚えてはいないだろう。

ただ私の場合、あえて答えるとすれば、
重視している面、基準となる透視図法上の起点というものはある。

重視している面は上を向いている面、
基準となる点は、上を向いている面の角、特にもっとも手前に来る角ということになるか。
あとは、絵の画面外になるが、上と下の消失点。

それは常に意識している。

一筆入れる時に、その線の流れに気を向けるのみならず、キャンバス内にどのようにそれが納まるかを同時に考え、画面外の消失点を正確に意識している。

そういう意識である。

将棋でもそうだが、動かしている「歩」とその周辺の駒だけを意識するのではなく、盤上全てを把握して、かつ、盤上に無い相手の持ち駒を意識し続けるみたいな。

もっともそれは、そこそこの将棋指しなら、あたり前にやることであり、基本である。

「どこから描き始めているか?」

この問いを、コンセプトのところまで踏み込むと、それはもっと時間的な奥行きが出る。

もしかしたら「深夜、和田地区を通りかかった時に、光の灯ったビニールハウスを見た瞬間」からかもしれない。
もしかしたら「コタツにもぐりこんで、赤い光を眺めながら、ヤドカリになった夢想をした瞬間」からかもしれない
もしかしたら「1982年・東京都」にまでさかのぼるかもしれない。

ただ、物語はわかりやすい方が良い。

それもいいだろう、キャッロルー、確かにその手の質問には、わかりやすさが肝心だ。

category
美術

全国公募・第5回アートイマジン芸術小品展〜部屋向き作品展示〜

東京都国立市のアートイマジンギャラリーが主催している「小品コンペ」に関わっております。

締め切りが、今月27日までです。

小さい作品のコンペですから、送るコストもそれほどかからず、さくっと参加できると思います。
地方からも、さくっとエントリーできるのでその気のある方は、ぜひこの機会にチャレンジしてもよろしいかと。

もっとも、作品自体は、妥協無くがっちり作るべきですよ!

小品コンペの要項はこちら

category
美術

学校の役割を見直してはどうか?

このところ、学校教育が事実上機能していないか、
機能していても、ものすごく効率の悪い状態であると感じている。

はっきり言ってしまうと、教科の勉強は各人自分でやっているときが最も効果的に力を付けられる。
一から十まで一斉授業する意味は無いだろう。

中等教育のすべきことは、
1 各教科の紹介や、魅力を伝える。(馴染ませたり、憧れさせたり、など)
2 独学で勉強するための技術を教える。(実例を紹介したり、とか)
3 独学で充分やって、それでもわからないところのみピンポイントで教える。

が、いいのではないでしょうか?

そして、部活や集団生活などは、民間の外部団体に委託するなりなんなりする。
学校の先生の負担は激減するし、生徒の能力も(少なくとも今よりは)上がるだろう。

category
雑記

プロなら本番直後に気を抜くな!

終わった直後に、気を抜かない人はプロだ!

受験でも、個展でも、試合でも、発表会でも、提出日でも、何でもそうだが、いわゆる本番が終わると気が抜ける人がいる。

というか、多くの人はそれを区切りに気がゆるみ、油断もするのである。

そういう時が最も危険である。
そういう時に歩みが止まる。

そういう時でも、油断無く、ペースを乱さずにやるべきことをやり、次の目標に向けて歩みを進めることが出来る人が一流なのだろう。

本番は節目ではあるが、しかし、あくまでも通過点だと肝に銘じておいた方がいい。

別に本番が終わると同時に死ぬわけではない。

category
雑記

試験の作風

定期テスト、大学入試とか、各種検定、それぞれに「作風」というものがある。

英語のテストなら、とにかく英語の実力を試しているのだろう、とだけ考えてはいけない。

○○先生が作る定期テストと、××先生が作る定期テストの作風は違う。
TOEICとセンター試験と英検は作風が違う。

これはどちらが難しいか、という問題とは別次元の話である。

そして、作風の振り幅のようなものもある。
TOEICは振り幅が狭く、センター試験の方が振り幅は大きい。

作風を熟知していると、出題されている長文の1パラグラフだけを読んでも、どの試験からの抜粋かわかるようになる。
絵の一部をトリミングして、見せられても「この絵はダリですね」とか「カンデンスキーですね」とか言えるように。

「だから、何なんだ?」という程度の話であるが、世の中にはそういう楽しみ方で試験を受ける人々もいるのである。

category
雑記