山口功のブログ2015年11月
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記録を付けると学習が変わる

認知行動療法でも大切にされていることの一つに、セルフモニタリングというのがある。

禁煙したい人だったら、自分の吸った本数や、吸った時間、その時の気分などを記録する。
さらに、倹約嗜好の強い人なら、タバコにかかった経費などを出してみても良いかもしれない。

そうすると、漠然「禁煙」したいと思っているよりも、はるかに現状が具体的に把握出来るようになるし、対策も立てやすくなる。
現状をしっかりと意識するだけでも、行動はよい方向に変化する。

英語学習も同じである。

私は、英語学習を10年前に始めたが、その時は、学習の型のようなものが出来ていなかったので、とりあえず一日の学習時間を記録していった。
その数字が増えるのが楽しみになったし、平均学習時間を落とさないようにと、がんばりたくなった。
だんだん英語力が向上し、洋書の読書にはまってからは読んだ冊数とベージ数を記録していった。
そして、TOEICの模試を1セット通して解けるようになってからは、模試の出来具合を記録していった。

このような記録は、専用の記録用紙などを作って行ったのだが、そういうのは未だに捨てられない。

その時々の学習スタイルやレベルや目標に合わせて、何を記録すべきかを考えて、淡々と記録する。

それだけで、学習は効果的で、ムダのないものになってゆく。


逆に、現状把握をせずに、ただ表面的に「まじめに勉強するという姿」を作っても成果はあまり望めない。

たまにそういう人を見かける。

もったいない、というか、残念というか。

自分がどこに立っていて、どのくらいのスピードで進めて、目的地がどこか、それを割り出してから歩くべきだ。
もしくは、歩きながら、たまに立ち止まって、それを確認、修正するべきである。

そのための重要な資料の一つが、「自分が付けてきた記録」である。

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英語

11月15日 第205回TOEIC 感想

第205回TOEICを受けてきた。

会場は、いつものところであるが、教室ははじめてのところで、かなり大きな講義室というか、講義堂のような感じのところであった。
しかしながら、ラジカセが教壇に一つ置いてあり、それだけでリスニングが実施された。
私は、一番後ろなので、こりゃ不利になりそうだな…と、思ったが、それはそれなりにきちんと聞こえた。

テスト(マイナーフォーム・IC35)の感想は

Part1  以前出たような、上級者を惑わす類いの難問は、このところなりを潜めている。いよいよオバマ大統領が登場したかと驚いた。
Part2 やや易 あまりひねくれた問題はなかった。
Part3 普通 
Part4 普通 

Part5 普通 3問程度難しい問題があったが、それ以外は平易
Part6 やや難 
Part7 やや難 全体的に読む量が多かったように思う。TOEICの世界でも、スマホ流行か。DPはそれほど難しくはないかと思われる。読む量が多くなると、リーディングスピードがより求められる。あるいは、テクニックを駆使して、出来るだけ必要なところだけを読むようにするか。

本日のTBRは、いつもより遅く、21:00から22:30とのことである。↓
TBR

追記:
実は、読む量が多すぎて、少々塗り絵になってしまったのですが、他のTOEIC講師や、TOEICerの皆さんの感想をみても、IC35のPart7はしんどかったようです。
対して、Part1は近年まれに見る易しさだとか。

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英語

子供の国有財産という発想

生まれ落ちた家庭によって、かなり不利な状況におかれたりする。

一番大きいのは親の金銭的状況らしい。
だが、それ以外にも、子供に不適切になってしまう要素はある。
親自身が自分のことでいっぱいいっぱであれば、子供の躾や教育などにまで気が回らないかもしれない。
また逆に、過保護すぎたり、子供をコントロールしようとしすぎるかもしれない。
子供自身を無視して、期待をかけすぎたりするかもしれない。

貧困の連鎖などは、その一例だと思うが、他にもいろいろ問題が出ているように感じる。

子供は、親や、周囲の環境を選べない。

それは、なかなか痛ましい現実である。理不尽にも初期設定で大きな格差が生じているのだから。

スパルタ教育という言葉で有名なスパルタでは、子供は国有財産として、親とは切り離して育てたらしい。
強い支配者としての肉体的な鍛錬に主眼がおかれていたらしいが、それは別として「国有財産として育てる」というシステムは、なんだか魅力的な気がしてならない。

億万長者の子供でも、借金取りから逃げまくっている者の子供でも、親とは関係なく、ともかく同じスタートに立つわけである。
その上で、競争なりなんなり、することが出来る。
もっとも、愛情を受けることは必要である。しかし、それはどうやら血縁関係のある親からの愛には必ずしも限定されないらしい。

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雑記

飛空挺

架空の空飛ぶ乗り物として「飛空艇」というのがある。

ファイナルファンタジーで登場する航空機であり、シリーズを通して、さまざまなカタチのものが登場する。

私が最も愛着のあるのは、セッツアー所有の「ブラックジャック号」であり、こういうの欲しいなーと当時思っていた。今も思っているが。

現存する航空機であれば、ちょうど飛行船のようなカタチである。

おそらく空に浮かぶこと自体にほとんどエネルギーを使わず、従っていつまででも空に浮かんでいることが出来て、なかなか広くて、居住性も良さそうである。

航空機は移動に使うことが大半であるが、空に住むために使うというのもなかなか楽しいのではなろうかと思う。

浮かぶだけで燃料をたくさん消費するようなものは、あまり経済的ではない。
アメリカの大統領レベルであれば、政府専用機に乗り、空中給油を受けつつ、そこそこ長期間空に住むことも出来そうであるが、あまりエコではない。

空に住むとなると、やはり水素などで船体を浮かべて、勝手に浮き続けるようにした航空機が良いだろう。

飛空挺には、なんとなくそんなイメージがある。
ブラックジャック号で、誰にも邪魔をされずに、一人世界中をふらふら出来るセッツアーを羨ましく思ったものだ。

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雑記

美しさとは何ぞや?

「美しさ」ということを考える。

専門的に美術表現をしているし「美術」を教えている人間として、美しさとうのはこういうことであると言いたいが、
実はどういうのが美しさなのか今ひとつわからない。

「技術的に完成度が高い」
「表現として優れている」
「強い表現だ」
「こういう作品は好きだ」

というのはよくわかるが「これは美しい!」と思ったことがない…というか、どうも美しいという言葉がピンと来ない。

何か絶対的な指標があって、それを美しいと言うのなら、この時代そういうのは無いのではなかろうか?

社会全体で作り上げた、面積をまったくもたないような点が「美しさ」という印象がある。

ところが、どうやらそういうものは無いように思う。
あるのは、

鑑賞者側、作る側、両方の個人的な好みと、
言いたいことをどれだけムダ無く効果的に語っているか(表現力)

だけなのではなかろうか?

もっとも、慣習的に作られた「美しさ」のイメージはそこそこ存在しているとは思うが、かえってステレオタイプ的な見方を誘発してしまうので、疑ってかかった方が良いかもしれない。

category
美術