山口功のブログ雑記
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補助輪は徐々に無くしていくものだろ!?

成績表を出すというのは、良い面もあるが、悪い面も多い。

特に、
学校における非常に短いスパンでの
「小テスト」「定期テスト」

評価のための
「宿題のチェック」「ノートチェック」

理想的には、
学習者自身が、入試や、検定などを目指して、あるいは、試験のためではなく何かしらの最終到達地点を自らさだめて、自分で攻略法を考えて勉強する様になればいい。

そうなれば、教育している機関がちょこちょこ一律の宿題をだしたり評価をする必要はないのである。

少人数・プライベートで教えていると、一律的な細かい評価などせずに長い視野で生徒を見ていけるので、ありがたい。
オフィシャルな学校教育ではできないことだろう。

究極的には、
生徒が「大きな目標に向かって、自ら実力を伸ばすことのできる人」になってくれさえすれば、あとは別にどうでもいいのである。
講師としての私は、いくばくか、そのサポートをしていくのが私の仕事であり、自転車の補助輪のようなもの。

はじめ補助輪は必要だが、徐々に無くしていくものであり、増やしていくものではない。

教えに行っているけど、「もはや勝手にやって、勝手にレベルアップしてるな〜。私が行っても行かなくても、関係無いなこりゃ。」

というのが、ゴール。
まあ、仕事無くなって困りそうですが。

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「板に付く」まで努力と忍耐を継続

「板に付く」

という感覚は、なかなか大切な感覚である。

勉強でも、仕事でも、趣味でも、服装でも、家事でも、なんでもそうだが、やり始めてしばらくはおぼつかない。
次に何をするか、どんなやり方でやるのか、いちいち意識しないといけないし、いろんなところが、非効率的だったりする。

それが、しばらく続けていると、非効率的なところはどんどん省かれて、やり方が自分流に洗練してきて、さらには、やり方そのものをあまり意識しなくなる。

それが、「板に付いた」状態だろう。

それは生活の一部になっているということであり、そうなるとあとは惰性だけでも前に進んで行く。
運動の3原則のごとく、一度「板に付いた」ものは、他の力がかからない限り、その進行は維持される。

そこまでもっていくのは、努力と忍耐が必要だが、そこに行き着けばあとは案外楽なのだ。

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生徒が喜んでやっていることには、水を差さない。

英語学習において、なんとなくの王道みたいなものがあるかもしれない。

そして、大抵の場合、講師は
「こういう方法がいいぞ。自分はこの方法で上達した。」
という確信や信念があったりする。

そうなると、生徒が非常に偏っている方法で勉強していると、それを止めたくなる。

中学レベルの文法がほとんど身についていないのに、なぜか単語だけは大学入試にも出ないような異常に難しいものをひたすら覚えていたり、
文法問題は何千問も死ぬほど取り組んでいるのに、長文はまったく読まないとか、

単語はもう十分だ、とか、
文法問題はもういい、と言いたくなる。

しかし、結果的には本人が喜んでやっているものは止めない方がいい。
大抵の場合、止めた時の弊害の方が大きい。
生徒が行き詰まったと思った時、悩んできた時に、講師はアドバイスをする。
それまでは様子をみるのがいい。

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道具に対するこだわり度の違い

道具に対するこだわり、あるいは、執着、あるいは、所有欲、そしてそれに続く愛着の強度は、人によって非常に異なると思う。

仕事で使う道具でも、なんのこだわりもなくそこらへんでたまたま売っていたものを「ん?ああ、これが一番安かったから」などと言って買って、長らく使っていたりする人もいる。

別に高ければいいわけではないのだが、商売道具なのだがらきちんと検討して選べばいいのに、と思ってしまうが、人によって全くそんな感覚がないのである。

どちらにもメリットとデメリットがあると思うが、私はこだわる方なので、こだわった方が、
精度の高い仕事ができるし、
仕事する楽しみが1つ増える
のではなかろうかと考える。

弘法筆を選ばず
弘法筆を選ぶ

あなたは、どちらか?

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過去問こそバイブル

「なぜか過去問を持っていない」

受験生教えている時に、よく疑問に思う。

不真面目な受験生で、勉強自体あまりしていないかといえば、そうではない。
学校の宿題(学校の教科書・プリント)、塾の宿題、模試の見直し、模試の過去問、単語帳、などなど、きちんと取り組んでいるのである。

しかし、実際のセンター試験や、実際に受ける学校・大学の過去問を使って勉強している人にはあまり出会わない。

これはおかしなことである。

例えば敬虔なキリスト教徒が、
聖書に載らなかった伝外的な文献を読んだり、中世に書かれた聖書の解説書、教会内での神学論争などをまとめた書物、キリスト教の歴史や、聖人の伝記などを読んでいるのに、なぜか、聖書そのものは読んだこともないし、そもそも持ってもいない、などということがあるだろうか?

まず、聖書そのものを読むべきでは?と思う。

わかりやすいことだが、過去問こそが本物なのであり、模試は本物ではない。
すなわち、過去問が最も重要な教材のはずであり、つまり受験生にとっては聖書みたいなものだ。

逆に言えば、過去問を使って十分に学習すれば、あとの教材はそもそもいらないか、サプリメント的な利用で済んだりするのである。

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都市部と地方

私は、都市部で生まれ育ち、現在は地方で住んでいる。

具体的には、東京都から山口県という拠点の移動である。

山口県に来て感じた、東京との大きな差は

1 大人がみんな車の免許を持っていて、かつ、ほぼ一人一台自分の車を持っている。(よって大人が在来の電車に乗る機会は皆無に等しい)
2 実店舗で実際に見れる商品の幅が格段に少い。(画材・登山用品・少し高いヘッドフォンなどは現物を見て買うのが不可能)
(3) TOEICテストの回数が格段に少ない(今はその当時より倍に増えたので、この問題はほぼ解消された)

で、あった。

しかし、こちらでよく言われる、

東京の方が「給料が高い、仕事が多い」という感覚は、全く共感できず。
東京で時給換算で500円交通費なし、振込手数料まで引かれる、時にはその給料すら出ないという状況も2年間経験したし、仕事のオファーは結局それしかなかったし、周りを見ても高給取りで、引っ張り凧という人はちょっと見つかりそうもない。
先生業は、生徒の数より先生をできる人の数が多いので、地方に比べると生徒の数は増やしにくい。
個展をやったところで、来るのは知り合いがほとんどだし、知り合いが少ない人は個展やっても人が来ない。
また、これまたよく言われる「チャンスが多い」と言うのも、実のところよくからない。
チャンスを求めるなら急成長中のインドとか、当面は超大国であり続けるだろうアメリカとかへ行ってみる方が楽しいかもしれない。
日本国内は、かなり均一に感じて、わずかな差しか存在しないような気もする。

美術分野だからそうい状況で、別のジャンルの専門家にとってはガラッと状況が違う、などということはあるだろう。

ただ、最近感じるのはほとんどの人が「ここはダメで、東京は良いはずだ」と思い込んでいることが、元気をなくす原因になっているのではないかということ。
自分自身をダメなやつだと思っていれば、自然と元気が無くなって、チャレンジもしなくなる。
それが、県単位で起きている可能性がある。

地方都市に住む人の過半数が、どんどん新しいことをやってやろうというチャレンジ精神に満ちていたら、はじめはカラ元気であってもほどなく、本当に元気になるだろう。
もしかしたら、博多なんかはそんな推進力が働いているのかもしれない。
もともと重要な都市だが、元気の良さはこのところ日本一と聞く。そんな噂がさらに博多を元気のいい都市に成長させているのかもしれない。

そういう圧倒的で集団催眠的な、仕掛けが山口県でもできれば、おもしろいことになるのですけどね。
いずれにしても、どこにいようと、自分の能力と可能性を信じて、その道を進むのが一番で、進むべき道もないまま「成功しやすい場所」ばかり気にするのは不毛だ。

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楽観的に考える

物事を悲観的に考えると、チャレンジする気も起きなくなる。
どうせ、やったってダメだと思うから。

「自分は才能がないから、やってもうまくいかないだろうね」
「世の中は甘くないから、やめておこう」

楽観的な人は違う、

「自分は成功するのだから、やってみるか」
「世の中は甘いのだから、ぶっちぎってやろう」

実際にうまくいくかはわからないが、前に進む限り成長はできるし、何回か失敗しても楽観的に立ち直り、結局はどこかでうまくいくだろう。
それに、うまくいくと自分を信じている人は努力を継続できる。

うまくいかないだろうと思いながら、努力を継続するのは困難だし、努力の質も低下するだろう。

なにより楽観的な人の方が、主体的な人生を送れそうだ。

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主体的に生きる覚悟を必要とする時代

たまに、バブルの頃の話を聞いたり読んだりする。

「どこの国の話か?」と思う。

お金に対する感覚が、全く違うのである。

正社員になっても、一月分の手取りが10万円代前半なんてことも起き始めているし、今後はそれが普通になるだろう。
ところが、物価は対して下がらないので、単純に食・住・光熱費・スマホと車の維持費以外には一切お金を使えない。
というか、一人ではそれすら難しいだろう。

そのような社会で育つ子供達は
「できるだけ給料が高くて安定したところに就職することを、目標に努力せよ」
という単一なプレッシャーの中にいる。

バブルの頃は
「まあ、お金はどうになるから、興味のあることをとことんやってみな」
という雰囲気もあったので、世の中はもっと多様だったのではないだろうかと想像する。

現代の日本において、本当の教育は具現化しにくい。
何が好きでも、何をやっても、

「それ、お金になるの!?」
「どうやって食べていくの!?」

で終わりになる可能性がある。

ある種の閉塞感の中で、日本人が衰退していくのはもはや避けられない状況だ。
この中で、主体的に生きるにはどうしたらいいか?

まず、「主体的に生きようとすること」が、初めの一歩。

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外交も近所付き合いも人間関係

領土問題で、自国の主張を100パーセント通そうとして、仮にそれが実現したらどうなるか?
相手国の国民に恨みが残り、奪い返そうという運動が激化して、紛争や戦争になる。
自国が弱体化した隙に、奪い返されることになる。

領土問題では、自国の主張の51パーセントを通して、相手国には自分たちが49パーセントではなく51パーセント勝利したと思わせるのが最高の着地点らしい。
もしくは、棚上げという手もあるだろう。無理に解決しなくてもいいことは、双方合意で棚上げする。

これは外交全般にも言える。
結局は、人と人の感情の問題である。

近所付き合いもそうであろうし、(会社などの)組織同士の付き合いもそうだろう。
世代間の対立でもそうだし、上司と部下でもそうだ。
外国人労働者と、日本人労働者でもそうだろう。

たとえその能力があっても、徹底的やっつけてやろうという(搾取してやろうという)衝動を抑える叡智、
解決する必要がないものは保留にする寛容さ、
相手の立場になって、相手の主張を考えるイメージ力と・多角的な視点、

どれも必要なことだろう。

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やりたい放題な週末

この2日、誰にも会わずにひたすら勉強をしていた。(通行人、店員などは除く)

クリエイティブな活動(作品制作など)でもなく、とにかく勉強である。
独り言は言っても、人との会話はなし。

ただ、散歩には行った。
近くのため池、近くの水路、近くの川に行って、この日照り続きの影響でどのくらい水位が減ったかを見て回った。
戻ってきて、インターネットで県内のダムの貯水率を確認する。

散歩しながら、ヘッドフォンをかけて英語のシャドウイングを行う。

勉強は、ずっと継続中の英語(音読と、カード回し)と、にわか勉強ながらラテン語、そして放送大学の科目で「音を追求する」というのがあるのだが、そのテキスト(印刷教材という得てして妙な名前で呼ばれる)を読んだりした。
そして、楽器の練習をしたり、STRの収録とアップを行なったりする。

非常に充実した週末であった。

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子供もつなら禁煙しろ!嫌なら独りで暮らせ!

私は、タバコの煙もしくはその臭気が非常に嫌いであり、さらに言えば、それにより具合が悪くなる。

よって、私は喫煙可能な空間に行くことは極力避けているし、喫煙者がいるところでは仕事をしないし、喫煙する人とはできるだけ関わらないようにしている。
でも、それは大人だから自分でそのような選択をすることができるのだと思う。

ともかく、個人的な感覚を別にしても副流煙の害は、結構ひどいらしい。

喫煙者の親を持つ子供はかわいそうだ。
自分の意思とは関係なく、それなりの毒を摂取し続けなくてはならない。

これは明らかに虐待だと思う。
法律で認められている以上、喫煙する権利はあるだろうが、虐待する権利や、他人の健康を害する権利はない。
子供を持ちたいなら禁煙するしかないはずだ。

喫煙を続けるか、家庭を持つか、天秤にかけて考えるべき問題だろう。
両立させようという人は、それなりの悪影響を子供に与えることになり、必然的に子供を虐待していることになる。
昨今、副流煙が悪影響を及ぼすというのを知らない喫煙者はいないだろう。
わかって、やっているのだから恐ろしい。

子供を虐待する親に災いあれ!

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明確化・シンプル化

受験勉強の鍵は、

「明確化」 と 「シンプル化」

である。

目標(そのテストで何点取るなど)を明確にする、自分がいる地点を明確にする、その差を明確にする。
その差を埋めるために、もっとも効率の良い方法を模索しつつ、自分なりの勉強法をシンプル化していく。
後は、一喜一憂せずに淡々と進めるのみ。

当たり前の感覚だが、なぜか多くの学習者にはこの感覚がない。

マークシートの試験だけを受ける人が、必死になって綴りをを覚えていたりする。
さらに悪いことに、綴りを覚えるという意識すらなく、ノートに単語を写す作業になっていたりする場合すらある。

多くの子供の感覚がこうなってしまったのは、本人たちの責任というよりも、周りの大人(学校と家庭)の責任だろう。

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儲かるかよりも、まずは人間でいること。

(従来の価値観からして)儲かりそうもない仕事をしたいと子供が言うと、それを親が止めて、進路変更させたりするらしい。

極端な例を挙げれば、

「詩人になりたい」
「それはやめなさい、公務員になりなさい」

こういうのは、子供の人格の半分くらいを潰す結果になりそうだ。
しかし、この時点では自己主張しているので、そこそこまともである。

最悪なのは、

「将来どんな仕事に就きたいの?」
「考えたことなかった・・・、どんな仕事に就けばいい?」

この場合、子供の人格は順調に潰されたと言えるだろう。

自分で考えて、やってみてからまた考えればいい。
試行錯誤だってできる。
でも、自分で考えることができず、自発的には何もできない人間なったら、それは廃人かもしれない。
「生きている」ではなく、「生きている」という人間だ。


そもそも、何が儲かるのかもわからない時代だろ。

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川から眺める風景

2週間前の大雨以後、雨は全く降らず、全力で晴れている。

昼前に散歩に行って、近くの川(というか水路か)の様子を見るが、かなり水位が減っていた。
サンダルだったので、川に降りて入ってみたが、深いところでも膝まではなかった。

見上げて見るといつも通っている橋が見えるし、よく行くスーパーマーケットの看板も見える。
少し角度が変わっただけでも、異常に新鮮に見える。

身近で見慣れた風景というのは、少し角度が変わるだけでまったく異質に見えるので面白い。
見慣れているものは、ちょっとした変化を感じやすいというのもあるだろう。

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先生のテンションを生徒より低めに調整せよ

ほとんどの先生は、「先生」したいので先生をしている。

ことに学校で働いている常勤の先生は、
工場でアルバイトしているよりも、時給が低く、しかも残業代は合法的に出ない。
それでもやりたいのは、「先生」をしたいのだろうと思う。

しかし、この先生してやるぞ、というテンションの高さについていく生徒は稀である。
これまた多くの場合、生徒は「生徒」になりたいというテンションがあまりない。
気がついたら、ただ、そこに「いる」という感じだったりするのだ。

この状態だと空回りは避けられず、もっと悪いことに、生徒は自分で学習している感覚を奪われる危険大である。

生徒が、自主的に勉強をし始めるために、先生のテンション(教え込みたい願望とか)は生徒並みか生徒より低めに抑えて、少しずつ自由(自由裁量や暇な時間)を与えていくというのは大切だろう。

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スピーキング チューブ ラジオ 計画の3分の1

2018年5月1日から始まった
「スピーキング チューブ ラジオ (伝声管ラジオ)」

先ほど、Ep.42の収録を行なった。

たまに、後から聞いてチェックしたりしているが、思いっきり単語を言い間違えたり、たどたどしかったりするのに気が付く。

後から聞き直して、
「この場合はこう言った方がよかったな〜」
「参ったな、似た単語だけど、意味が全然違うよ・・・」
などと思うことも勉強になったりする。

それでも、この1ヶ月半の間に、いくらかは話し慣れて来たような感じがある。
英語の勉強はしていても、それ以前はほとんど英語で話す機会がなかったので、伸び代はかなりあるのだろう。

「伝声管ラジオ」の企画は、
平均12分のエピソードを、120個アップするという目標を掲げている。

今後、より発信する意味のある内容を選んで、精度の高い番組にしていきたいところだ。

スピーキング チューブ ラジオ

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別に誰にも強要されていないけど、授業を受ける。

我輩は大学生である。

社会人向けの通信の大学の大学生である。
そして、この2日間はリアルな授業を受けてきた。

2日間、10:00〜17:00まで、8コマ分。
私はこの授業に向けて10日くらい前から合計14時間くらいは準備をした。

今は、かなり充実した気持ちになっている。

考えてみると、素晴らしい空間だと思う。
そして、健全な空間だとも思う。
自分でお金を出してでも習いたい人しか来ていないし、そのような人を相手に講師は教えるわけである。
別に誰にも強要されていない。

ふと、教員の免許更新講習のことを思い出す。
学校の許員は、免許を維持するために、教員免許の10年に1回、この教員免許更新講習というのを、受けなくてはならない。

3万円払って、5日間分の講習を受けるのだが、あれは本当に「歪んだ空間」だったと思う。
実は、得るものもあったにはあったが、とてもではないが、3万円と5日分の価値はなかった。

制度として強制されている講習というのは、受ける方にとっても、教える方にとっても、著しく苦痛だろう。
「こんな、形だけの講習」という意識があるし、ある先生はそれを実際に口に出していたし、私も、もっともだと思った。

とにかく、昨日今日の授業は楽しかった。
これから復習をしようか。

授業自体のことについては、STRで話す予定である。

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効果的な受験勉強

受験勉強に関して、もっとも効果的な方法を考える。

まず、当然の事ながら、受験教科のみ勉強するようにする。
受験教科以外は一切勉強しない。

世界史が受験教科でないなら、世界史はやらない。

その上で、受験教科の中で一番苦手なものをやる。
90点とれる日本史と、40点しか取れない英語なら、大好きな日本史は放っておいて、40点しか取れない英語を勉強する。

日本史は「伸び代」がほとんどないが、英語は40点も50点も伸ばせそうだ。(つまりコスパが高い)

苦手な英語の勉強をする時も、英語の中でもっとも苦手な項目を中心に行う。
単語がまあまあ得意で、文法が苦手なら、苦手な文法に取り掛かる。

常にやるべきことは、苦手な教科の、苦手な項目である。

そして、1番苦手な項目が2番目に苦手な項目になったら、次にその時に1番苦手な項目に取りかかる。
1番苦手な教科が2番目に苦手な教科になったら、今度はその時の1番苦手な教科に取りかかる。

常に1番遅れている、1番できない、1番点数が取れないところを勉強する。
自分が得意なところは無視して、常に苦手のところとのみ向かい合う。

これが、受験対策としては最も、効率的な勉強法である。

まあ、心が折れることなく、これを徹底して行うのは、並みの人間には難しいだろう。

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STR_011

I have just released Ep.011 of Speaking Tube Radio.
I revised the thumbnail, according to advice from an designer who is especially famous in Yamaguchi prefecture.

In this Ep. I am talking about his his advice, and I think there are a lot of things to learn as an artist.

STR_011
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マルチの良し悪し

好奇心があって、様々なジャンルに手を出す人がいる。
それなりに、いろいろできる人という感じになる。
そういう人は「マルチな人」と呼ばれたりする。

ところが、各分野のプロフェッショナルな人からすると、一つ一つは話にならない低レベルだったりする。
つまり、なんとなくできている風だが、実は一つも専門性がないみたいな。

これは、いただけない。
マルチな側面を持つのは悪いことではないのだが、狭い範囲で極端に専門性を求める意識を失うと、アメンボのように表面を滑っているだけの人になってしまう。

様々なジャンルに手を出している時には、自分の専門性ってなんだっけ?
その分野のプロと戦えるのか?

と自問してみた方がいい。
専門あっての、マルチである。

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Speaking Tube Radio

今月より、You Tubeで
"Speaking Tube Radio"の配信を始めた。

動画なし、音楽なし、音声のみの英語放送である。

インターネットのおかげでグローバル化している割に、日本人は日本の狭いフィールドでしか動かない人が多い。
物理的に移動するのは大変なので、それが難しい人も、しかしネット上でまで日本限定というのはどうなんだろうか。

私も含めて・・・。

そのように思ったので、英語で喋ってみるという活動を開始したのである。

少しでも喋り慣れてきたら、芸術分野と、言語学習と、教育分野について、深い内容を発信していく予定である。

STR・再生リスト

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録音して聞く

「録音して聞く」と、いろいろ発見がある。

私は頻繁に、何かしら録音して、聞いて確認しするということをしている。

1、自分の英語の音読・シャドウイング
2、自分の楽器の練習
3、自分の講義、プレゼン、講演会、対談

英語の発音の向上、楽器の上達、喋り方の見直し、などなど、実際に自分が行っているときには気がつかなかった「イマイチ」なところを発見できる。
「イマイチ」なところを見つけることができると、その部分を「イマイチ」ではない、良い状態に持って行こうとする力が生まれる。
言い換えれば、現実と目標地点の誤差を認識し、その差を埋めようとするのである。

録音すると、気がつくことが非常に多い。

そして、今は、スマホなどで簡単に録音できる時代になった。

ところが、
授業でプレゼンの指導をするときに、このようなことを伝えるが、本当に実践する生徒・学生は未だ確認できていない。
案外心の壁の方が大きいと思われる。

「イマイチ」から、目を背けて走り続ける習慣が、出来上がってしまっているのではないか。
その姿勢だと、いくらトレーニングしても程なく成長が止まる。

録音して、自分の声(とか、演奏とか)を聞いてみると良い。

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トレーニング計画とトレーニングそのものを分ける

トレーニングをしながら、トレーニングメニューを考えたり、計画を立てるのはうまくいかない。

トレーニングをしている時はトレーニングに集中するべきであるし、トレーニング中にメニューを考えると、トレーニング自体で苦しかったりするので、楽な方に流れがちである。

結果として、漫然とトレーニングしているような状態になる。

事前にメニューを決めておけば、そのメニューに沿って集中すればよく、効果が上がりやすい。

そのメニューも経験が増えれば効果的なものになっていくだろう。

トレーニング時間内のトレーニング効率を上げるという意識は、わずかでも、常に持ち続けるべきであろう。


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4月1日/教育シンポジウム

シンポジウムの告知です。
私は、自らの英語学習体験から気がついた「独学力」の大切さ、を話します。
ここで言う、独学力と言うのは単に一人で机に向かっていることではなく、人に習っている時でも発揮される能動的学習力のことです。
詳しく知りたい方は、ぜひお越しください。



【教育シンポジウム】
地方の子どもたちの「進路」と「地域教育」シンポジウム

「教育」と「不登校」の現場にいる専門家たちが 地方の小・中・高校生たちの「進路」と「地域教育」のあり方について ディスカッションします。

日時:2018年4月1日(日) 13:00-15:35
場所:徳山駅前賑わい交流施設 交流室1
料金:無料

【内容】
第一部 基調講演
基調講演 1 「独学力が未来を拓く!」
山口 功 氏 (美術博士、英語講師)

基調講演 2 「プログラミングと理系視点からみる子どもたちの進路」
坪郷 浩一 氏 (工学博士、民間企業技術顧問、数学講師)

基調講演 3 「不登校の子どもたちと進路」
小松 範之 氏(コーチングコーチ、フリースクールまなポート)

ハーフタイムショー
生徒A(フリースクールまなポート) による作品(楽曲・MV)発表会

第二部 パネルディスカッション 「進路と地域教育について」
パネリスト/登壇者
坪郷 浩一 氏(工学博士、民間企業技術顧問、数学講師)
山口 功 氏(美術博士、英語講師)
小松 範之 氏(フリースクールまなポート運営、コーチングコーチ)
 
申込み方法:まなラボ(0834339314)

主催:NPO法人まなびデザインラボ
電話 0834-33-9314

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お金の無駄遣わない

お金は、ただ持っているだけでは、価値を生み出していない。

使った時に価値が発揮される。

その商品やサービスを買って、

自分の生活の質がどれだけ向上したかとか、
どれだけ自分の知識が向上したかとか、
見聞が広がったかとか、
どれだけ苦痛が軽減したかとか、

そいうことが、価値である。

だから買わなかったことによって、上がるはずの生活の質が上がらなかったのなら、それは価値を発揮できなかったということになる。
更に言えば、上がるはずの生活の質が、払う金額よりもはるかに高い場合は、バカバカしい状況を生み出す。

500円節約するために、5000円の価値をドブに捨てるイメージだ。

500円節約できたと喜んでいるけど、実際は4500円の損失である。

非常にお金がもったいない。

これを
「お金の無駄遣わない」
という。

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