山口功のブログ雑記
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一人でいる時間を作る

何かを思案するために、部屋にこもる。
そんな時間は大切だろう。

しかし、現代人は部屋にこもったところで、一人にはならないし、情報の制限もできない。
スマホとネットがあるから。

外部からの情報を遮断してみる。
そうすると、ゆっくり考える猶予が生まれる。

半日くらいは、ネットを遮断してみようか。

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雑記

ブロばな(第二回)

ブロばな(第二回)

2017年8月5日(土)に収録いたしました対談です。

◇ 話し手
本田篤嗣 (認定コーチ・ビジネス書著者)
坪郷浩一 (工学博士)
山口功 (美術博士)

◇ 内容
プロが語る、プロの話「プロばな」
今回のキーワードは「仕事・就職」です。
起こりつつ変化を踏まえて、どのようなスタンスで仕事をするか、そして、そのためにはどのような人を育てなくてはならないのか。
働くこと、学ぶこと、そして現状について、何かしら考える材料になるではないかと思います。
よろしければ、ご覧ください。


第二回プロばな・前半

第二回プロばな・後半

◇ バックナンバー

第一回プロばな・前半

第一回プロばな・後半

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コアラのマーチ

コアラのマーチを作る工程がすごい。

粉から箱詰めまで、まったく人が関わらない工程に感動した。

粉を練る、コアラを印刷する、オーブンで焼く、この辺りまあ、機械だけでもできそうだ。
さあ、裏返すのはどうするのか、さすがに人手を使うのか、と思っていたら、コアラをひっくり返す機械が登場した。

これには感動した。
このような機構には美を感じる。

そして、袋を箱に詰める装置にも驚いた。
まさか、そんな入れ方をするか!
これはもはやSF風。

コアラのマーチ工場

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放送授業のインターネット配信

放送大学のインターネット配信が今年の4月から新しいシステムになり、使いやすくなった。

Macでもきちんと使えるようになったのと、さらに、1.5倍機能が追加されたので、45分授業を30分で聞くことも可能だ。
(1.75倍もほしい・・・)

講義というものは、基本的にゆっくりと話されるものであり、何度も聞くとなると退屈する。

収録された授業は、聞く側が速度を変えられたり、部分的に聞いたりできるようにしておくことが肝心だと思っているが、それができるのようになって、喜んでいる。

週末単位認定試験がある。

土曜日 死生学入門
日曜日 錯覚の科学

さて、印刷教材の方も読み進めるとしたい。
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プロばな(第一回)

ブロばな(第一回)

2017年7月17日(月・祝)に収録いたしました対談です。

◇ 話し手
本田篤嗣 (認定コーチ・ビジネス書著者)
坪郷浩一 (工学博士)
山口功 (美術博士)

◇ 内容
プロが語る、プロの話「ぷろばな」。
第1回の今回は、教育や学習の現場に教え手として教鞭をとるプロ達が、 『まなび』について、対談形式で語ります。
教え手でありながら、同時にまなび手として日々研鑽に励む3名のプロが 「まなび」をテーマに語ります。
教育の現状を踏まえながら、学ぶとはどういうことか、上手な学び方など、 あなたのまなびに役立つヒントが満載のトークセッションです。

第一回プロばな・前半

第一回プロばな・後半

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基本・応用・付け足し

何が基本で、何が付け足しか、何が応用か、を見極めることが大切だ。

どんなに難しい大学の入試過去問を使って勉強していたとしても、この3つの分類がなされていなくてはならない。

これが、すべて同じに見えていては、学習者としてはよろしくない。
基本ばかり載っている問題集をやり込みましょう。

基本・応用・付け足し

そして、基本をばっちり叩き込んでから、応用や付け足しには手を出だすようにしなくてはならない。

be動詞プラス過去分詞で受動態、という文法問題



過去の習慣を表すwouldとused toの使い分け問題

が同じ重要度に見えていては、その教材はあなたに合っていないので、そくざに問題集を変えるべきだろう。

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夢を持ち続け、体力を向上させよ!

大学を出て、なにかしらの常勤職員(常勤の公務員・会社員)になり、定年退職で退職金もらって上がり、というルートは今後かなり珍しくなるだろう。
そもそも、そのような何かに乗っかっていれば安泰、という考えは捨てた方が良い。

今、そしてこれからの時代重要になるのは、

1 夢(理想の自分)と信念を持ち続けること
2 勉強し続けること
3 収入源の複数化
4 海外でもやっていける能力(異文化コミュニケーション能力と、気楽に海外に出て行く心意気)
5 PC力(インターネット力を含む)
6 体力(筋力・持久力)
7 家事力(特に料理力)
8 経営事務力(個人事業者に必要)
9 身軽さ

間違えなく1は絶対に必要だと思う。
これがなくては、何も始まらない。
夢を語ると、多くの人は馬鹿にしてくる。ひどいことに、学校の先生にもこの手の手合いはいる。夢を諦めた人間だ。
そういう人は、生徒が夢を実現することを妨害する。
彼ら彼女らはドリームキラーと呼ばれる種族であるので、相手にしてはいけない。

そして、最近思うのは、6が結構大切ということである。
どんなに高い志があっても、才能があっても、覚悟があっても、体力がないと何もできない。

「か弱い乙女」は、自分をプロデュースするためのブランディングであるべきで、本当にか弱すぎて家で寝込んでいては、何も前に進まないのである。

持ち前の身体能力には個人差・年齢差・性差があるが、それを少しでも強化する努力をしても損することはないだろう。
努力をすれば、必ず向上するものである。

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先生との相性

高校出て、予備校で浪人して、大学出て、大学院出て、また大学に入ったりして、これまでにたくさん授業を受けてきた。
最近は、ネットでの配信授業、YouTubeなどで手軽に見られる授業などもよく見ている。
そして、教える仕事も英語・美術分野で行い、その幅も小学生から大人までかなり広い。

そこで思うのは、「先生との相性」は重要な要素であるということだ。

人として好感が持てる、感心できるとか、尊敬できるとか、ちょっとしたファンになれるとか、そういう感覚が持てる先生の授業は楽しい。
それは、時に授業内容に勝る。

高校までの授業だと、基本的に先生は選べないが、大学に入ると履修科目の自由度が増すので、授業内容よりも先生との相性で授業を履修するのも手である。

また、YouTubeの動画授業なども、引き込まれるのは「この人すごいな〜」と思える人だったりする。

ただ、これはあくまでも相性なので、私がすごいな〜、と思った先生が実はあまり人気がなかったりすることもあるわけで、あくまでも「相性」だ。
「良い悪い」の話ではない。

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シリアルエクスペリメンツ レイン

シリアルエクスペリメンツ レイン
というアニメがある。

1998年に公開されたアニメである。
ということは、エヴァ(エヴァンゲリオン)の少し後ということだ。

このアニメを今見ると、実に興味深い。

SFとも言えるが、ちょっと未来つまり、今2017年あたりを予想しながら作られたような感じもある。
そういう視点で見て見ると、1998年の頃の予想と今との差を感じ取ることができるので、おもしろい。

この作品の大きなテーマは、バーチャルな世界とリアルな世界の境界線が曖昧になるという感覚だと思うが、それは今まさに人類の中で大きくなりつつある感覚である。

生身の肉体を持っている人間でありながら、同時に生身の肉体から離れた世界に浮遊しており、その世界においてはリセットが効く。つい、生身の肉体もリセットが効くだろうと思ってしまう。
リアルな世界の影の薄さや、バーチャルな世界の重み。
それを、じっくりと一種不気味な雰囲気で提示している。

1998年に、この感覚をここまで明確に押し出したのは、考え深い。

では、このアニメを今の中高生に見せたら共感してもらえるかというと、それは疑問である。
なぜか?

このアニメは長いカットで上記に述べたようなテーマを語っている。
じっくりと雰囲気で見せているところが多い。

この間をしっかり受け止めることができれば、よいのだが、今の中高生はこの間は単なる間でしかなく、集中力が維持できないだろう。

この点において、エヴァとは対極的だと思う。
エヴァはカットが短く、当時としては目まぐるしいくらいであったが、今は標準的とも思える。

あの頃から、人々の集中力は徐々に短くなってきたのではないかと思うが、レインは「長いカットでじっくり語る」最後(らへん)の作品かもしれない。

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まず、信じ込むのも手です。

とりあえず、自分は「神様ではないが、人間界では超優秀」だと、信じ込む。

これは、結構有効だと思う。

全能の神ではないので、なんの努力もせずに世界中の言語が理解できたり、人間にはできないような、生身で空を飛ぶとか、そういうようなことはできない。
しかしながら他の人間(例えば偉人、むちゃくちゃ成功してるとみなされる人、その道の達人)ができていることはしかるべき努力をすれば、自分も確実にできるようになる、という確信。

これがあると、迷うことなく努力していける。
努力することに不安がなくなる。

これがあると、挑戦を恐れない。
失敗した時には冷静に再挑戦をすることができる。

人と違っても、構わないと思える。

そして、しかたなく生きる人生ではなく、自分の人生を生きることができる。

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手応え

「手応えがあるか?」

「手応え」という感覚は大切だ。

スポーツにおいても、勉強においても、作品作りにおいても、ビジネスにおいても、その感覚が得られるかどうか把握しておくことが大切である。

ひたすらまじめに勉強していても、「手応え」に対して鈍感であると、ただ回数をこなしているだけで実力は上がらなくなる。

「あんなにまじめに勉強しているあいつが、なぜ試験になるとこんなにできないのか?」

もしかしたら「手応え」の有無に鈍感だからかもしれない。

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やるべきことリスト

今日1日を大切に過ごすために、今日やるべきことを、書き出すことが日課になっている。

いわゆる、やることリストであるが、私の場合だいたい1日15〜25項目になる。

この中には「消しゴムを買う」とか「ブログを書く」とか「英語音読」「筋トレ」「制作」「翻訳(5センテンス)」「日記を付ける」「掃除機がけ」など、とにかく本日やるべきことはなんでも書く。そして、終わったら、二重線で消して横にokと書く。

最近、さらに「家を出る前」「家を出てから」「帰ってから」という色分けを蛍光マーカーで行うことにしたが、それが意外とわかりやすくて良いことが判明した。

あと、着手したものに三角印を付けるというもの、やる気が出て良い。終わらせられないまでも、始めることはできたのだからまあ良しとしようと、いうこともある。

やるべきリストを作ると、1日を効果的に使えるし、なによりやり忘れが生じにくく、コンプリートした時に達成感があってよい。

今日のリストは、20項目だが、残りは10.5項目である。

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異文化コミュニケーションの心得

基本的に人と関わるということは、異文化コミュニケーションだということを念頭においたほうがいい。

これは、同じ日本人同士の場合でもそうである。

近年、高校生や中学生の中でも学年が違うだけで、恐ろしく常識が違ったりする。
また、地域や学校、職種によっても全く常識が違う。

この異なり方は、それなりに大きくい。
特に世代間のギャップはこれから激しくなるだろう。

そうすると、自分の常識で他者を判断、評価したり、理解しようとすると、大きな食い違いが生じる。
さらには、無駄にがっかりしたり、腹を立てたりすることになりかねない。

だから、自分の全く知らない国の人にあった場合と同様に「文化的な隔たりがある」ということを念頭に置いておいた方が、結果的にうまくいきそうだ。

「それ、非常識でしょ。バカにしてるのか!」

と、思う以前に、

「この人の常識からすると、これは敬意を評しているということになるのかもしれない」

と考える。

よくわからない場合は、とりあえず保留にする。
様々な可能性があり、そういうことを考慮において、判断を下す必要のないことはできるだけ保留にしておくというわけだ。

はっきりさせなくてはならないことは、言葉できちんとはっきりさせる。

そのくらいの心構えを持った方が良さそうだ。

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ちょっとした成功体験を得て、素直によろこべ!

まずは、成功体験を得るというのが、思いの外大切なことだと思う。

人生を能動的に生きて行くため、あるいは、何かしらで大きな成果を上げるためには
「根拠がなくとも自信がある」
という自己肯定感を持っていなくてはならない。
(たいていの場合、そもそも確固たる根拠など得ようはずがない)

それは、ある程度自分自身の「成功体験」の数に依存する。

それが、極端に少ない人は、焦らず小さな成功体験を得るように、ごく単純なことを継続してみるといいだろう。

私は1ヶ月くらい前に、とあるスポーツマンから
「ストレッチをして体を柔らかくすると、疲れにくくなっていいですよ」

という言を聞き、生まれて初めて自発的にストレッチなるものを始めた。
体はどちらかといえば硬い方だろうと漠然と思っていたが、初期値ははっきりいってどうでも良い。

ストレッチ自体は放送大学のネット配信の講義を聴きながらしたりできるので、結構頻繁にやって、3週間たったが、これが予想以上に成果が上がった。
疲れにくくなるかどうかは今のところ、なんともいえないが、しかし、反動なしの前屈で指先がぎりぎり床につくところまで柔らかくなった。
初期値は床から5cmも離れたいたので、このままいったら、3ヶ月とただず、掌が床にぺったりつのではなかろうかと。

こういうのも「ちょっとした成功体験」である。

ところで、このような成功体験を経験している時に「人と比較する」のは愚かだということを付け加えたい。

「自分が努力して、少なからずその成果が出た」ということを喜べばよく、
もしくは
「成果が出ているかどうかはまだわからないが、努力を継続できている自分」に感心すれば良い。

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予備を揃えるという発想

*置き勉の禁止*

というのは、つまり、学校に教科書や資料集、問題集、単語用語集、ノート(もしかしたら、辞書も)を置きっぱなししてはいけないということである。

どうして、そんな規則を打ち出すかといえば、家で勉強しなさい、という意図が込められているのだろう。
しかし、今や規則だけが形骸化してしまっていて、無意味に書籍類を日々運搬する義務を課している場合もある。

私は学校に勉強道具を置いておくこと自体、悪いことではないと思っている。
学校に必要な教科書などを持ってくるのを忘れてしまうというのが、最悪の事態なので、それに備えておくという発想。

明日の授業を確認し、時間割変更なども考慮に入れて、明日の持ち物をカバンに入れるということは、少なからず忘れるリスクも生じる。それを警戒して毎日全教科持って行くというのもあまりに疲れるだろうし。(筋トレにはプラスになるかもしれないが・・・)

では、家では勉強しなくてもいいの?
と思われるかもしれないが、家では家用の教科書類を揃えておけばいい。

特に自分が力を入れている教科の教科書、受験対策として使う問題集や単語帳はいろいろなところに置いておいても損はない。

どうしても、一冊しかない自分で作ったオリジナルなノートや、先生が配ったプリント類、あまり使わないけど今日は家でも確認したいと思うテキスト、そういうものだけ持ち帰る。
家では家の勉強道具を揃えておく。

こうすると、忘れものをするリスクを低下させることもできるし、荷物も軽くなる。(筋トレにはマイナスかもしれないが・・・)

単語帳や死ぬほどやりこむつもりの問題集は、トイレや、風呂用にさらに一冊あってもいいかもしれない。3冊くらいあれば、バラして折って、ポケットに入れて、レジで並んでいる程度の隙間時間でもすかさずチェックしたりできる。

こういう本は、卒業した先輩が捨てていったものや、おねいさん、お兄さんからもらったり、もしくは、古本屋で安く出ているものを使うなど工夫すれば、気兼ねなく使える。

「メインで使っている勉強道具は、予備があってもいいのではないか」
という発想を提示したい。

あくまでも、目的は自分が効率的に勉強し、なるべく成果が出るように環境をセッティングすることにあるのだ。

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自分が上達して、かつ録音機もよい、でもスピーカーは

この1年、日々1時間ひたすら英語の音読(シャドーイングやオーバーラッピングも含む)を行なってきた。

扱った素材は
放送大学の印刷教材(テキスト)3冊
東進のレベル別問題集(主に3〜5)

である。

このところ、自分の声を高精度に録るために、楽器の録音に評判の高い、リニアICレコーダー【タスカムDR-40】を使用している。
始めはオリンパスのICレコーダー【V-803】を使っていて、それもかなり良かったのだが、タスカムの方がよりプレーンで高解像度なので、トレーニングの確認には良さそうだし、なにより存在感があるので、がっちり録っているという感じがして良い。

問題は、確認用のスピーカーである。

現在、OMAKERの【M4】を使用しているが、どう考えてもタスカムの威力を発揮できていない。

このスピーカー、少人数の授業で使うとか、ブルーツゥースでパソコンから音を飛ばして、風呂で講義を聞いたり、台所で音楽聞いたりするのには優れている。

しかし、音そのものについて考えると、録音機との釣り合いが取れない。

だからと言って、ほいほい買うと、泥沼にはまりそうだな。
「こんなにいいスピーカー買ったんだから、マイクはやっぱり外部マイクにして、これにしたら・・・」

とか、きりがなくなるパターン。

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とにかく落ち着け、しかし居座るな

素直に聞くことと、自分のやり方を通すこと、どちらが良いことなのか?

私はそのバランスをコントロールすることが重要だと思う。

世の中にはひたすら自分のやり方を続け、人の意見には耳を貸さない人がいる。

英語の勉強で、CD(音を)活用して学習した方がいいよ、と言っても結局一回も聞かないで、ただひたすら文法問題集だけ解いていたり、する人などはそうかもしれない。

もっとも、全くやらないよりは自分の能力は伸びるのだが、あるところから成長はほとんど止まってしまうだろう。

逆に、人の意見を聞きすぎる人もいる。

英語学習には音読がいいと聞いたら、それをやってみる、しかし3日後にはその音読素材はほっぽらかして、新しい単語帳を買ってきて単語覚えている。なぜかとういうと知り合いにやっぱり単語だよと、言われたから。
一週間後に会った時は、そもそも英語学習はやめていて、なぜか韓国語をやっている。次に会ったら、それもやめて、漢字検定2級にむけて勉強していたりする。

こういう人は多分何も身につかない。まあ、楽しければ良いという考え方もあるが。

ある程度の期間は自分のやり方を通す、そしてそのルーティンが板についてきて、その後、効率の低下を感じたら講師の進める新しいやり方を試してみる。

このあたりの勘所が、自分の能力を向上させる上で大切であり、難しいところでもある。

一般には3ヶ月続けると何らかの実りが得られるものであるが、場合によっては半年かもしれないし、1年かもしれない。

とにかく落ち着け、しかし居座るな。

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教育現場の技術

教育の場には、いろいろな技術が存在する。

例えば、英語の授業の場合、

1、先生の英語力
2、先生の英語を教える技術
3、先生の生徒のやる気を出させる技術
4、生徒の習う技術
5、生徒の授業時間外での学習力

最近、
1はそれほど大きな要素ではないと思う。英語の先生の英語力がいかがなものかという問題が提起されることがあるが、別に先生が英検1級でも、英検2級でも、生徒からすれば大した違いはなかろう。
もしかしたら、先生自ら英検1級に向けてガンガン勉強している姿勢自体には意味があるかもしれない。

2もそこそこ大切だが、これが極限まで上手くても、生徒にやる気がなかったり、授業以外では1分も勉強しませんというスタンスだとお手上げだろう。

3はかなり重要だが、生徒との相性もあるし、なかなか難しい。
これが上手ければ、あとは、生徒は勝手にやって勝手に伸びていく。
先生としての理想を突き詰めると、この技術が残るのではなかろうか。

生徒の側からすると、自分の能力を向上させる上で、4があると有利になる。
この意識のある生徒は少ない。
高校までは強制的に次から次に授業を浴びせかけられるような状態であり、習う技術など考える気もないのが普通である。しかし、それは大きな損失だろう。
大学・社会人と進んでいくと、この技術の重要さに気が付いたりするものだ。

5は何を学ぶにも重要なことである。
先生に習っている時間は25%以内にするべきで、その3倍は自分でやれるところまでやる。
習っていても「自分でやれるところまでやり続けるという」覚悟がある人のみ、技術を本当に習得できるのである。
生徒が主体になっている状態と言ってもいいかもしれないが、生徒側からすればこれを目指すべきだ。

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バランスを考える

「全体のバランスをとる」

という視点を忘れてはいけない。

例えば、受験勉強の場合、志望校の最低合格点以上をとることを、第一の目標とする。
そして、それが国語60点、英語60点、社会60点だとする。

そして、自分が過去問を解いたら、国語65点、英語40点、社会40点だったとする。

あと半年あるとすると、ほぼ全てのエネルギーを英語に投入するべきだろう。

そして、英語のなかでもどこがもっとも足を引っ張っているか、分析してみる。

単語力なのか、文法力なのか、それらがそこそこわかっていても、長文を読むのが遅すぎて間に合わないのか、そもそも時間無制限でも無理なのか。はたまた、リスニングがだめか、スクリプトを見れば理解できるのか。

弱点を強化していく。

社会はもう少し試験が近づいてから一気に片付けるとか、時系列でのバランスも考える。

何にどれくらい時間がかかるのか、暗記しなくてはならない総量はどのくらいか、それを把握するために、少しだけ手をつけてみるのもよいだろう。
計画の精度が上がり、バランスをよりきちんと取れるようになる。

人生も、それと似ていると思う。

仕事・生活・趣味
5年後・10年後・30年後

然るべき理想に向けて、バランスを考えつつ、取り組んでいるだろうか?

エネルギー配分は?
時間配分は?

バランスをとる努力をしているだろうか?

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環境を整えるということ

勉強なり、何かしらの技術に磨きをかけるなり、あるいは、何か作品作るとか、
そういうことをするためには、「環境を整える」ということがかなり大切である。

受験生が勉強をするために、わざわざ図書館に行ったりするのはその環境を整える意味が強い。

世の中にはわざわざ勉強用に月極めのワンルームマンションを借りる人すらいる。
伝説のTOEICブロガーMさんは、そんなことまでして、集中して勉強する時間を確保して目標900を達成したらしい。

「自宅にいるとよからぬ邪魔が入りますから」

とのこと。
サラリーマンで、家族もいればより積極的な環境づくりが大切かもしれない。
ことに大人であれば、多少のお金を払う覚悟も必要だ。
自分への投資ともいえるだろう。

ということで、この土日各4時間、一人淡々とトレーニングを行うために森の中の施設へ。

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極めてみるという発想

1つの技能を極めると、「技能を極めるということ」それ自体を自動的に習得することになる。

そして、その過程で「自分」と向き合うことになり、(それなりに)自分を知った状態になる。

そうすると、他の技能を身につけるの非常に容易とは、いかないかもしれないが・・・。
少なくとも極めている状態や、その過程を明確にイメージできるので、無駄なことはぜず、効率的にトレーニングできるものだ。

忙しくいろいろな、勉強・趣味・取り組み方(仕事術とか勉強法みたいなもの)を、さらさら〜と、渡り歩いている人は、実は何も極められないことが多く、結果的に表面的なところを滑っていっているだけになっている。

まずは、ごくごく限られた範囲(この1冊のうすい問題集だけとか、腕立て伏せだけとか)に絞り、極めた状態を体験することをオススメする。
楽しかろうが、そこそこできるようになっても、辛くなろうが、嫌になっても、飽きても、とにかく愚直に繰り返し、「極めること」を経験されたし!

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必要なら全力で脱出しろ!

会社をすぐ辞めてしまう人が問題になっている。

叱られたから嫌になってやめるとか、朝起きるのが辛いので辞めるとか、

まあ、そのような場合は社会人として、とにかく「耐える」方がいいかもしれない。
慣れていけば辛さも軽減されるし、その過程で自分が成長できるから。

確かに、すぐ辞める人は問題かもしれない。

しかし本当に深刻な状況というのは、

仕事にも馴染みこなしているが、会社のやり方に根本的な疑問を感じており、
しかも自分の頑張りがまったく反映されず無視されて、話し合いにもならない、挙げ句の果てに不当な扱いを受ける。
わけのわからぬ派閥争いのおかげで、本来の仕事そのものに支障が出ているし、改善されれない。井の中の蛙の、蛙の戦いがメインの仕事になっている。
そもそも、おもしろくもない、自分が成長できるチャンスもほぼ皆無である。
そして、はじめは希望や理想を持って就職したのだが、結果として職場の不満だけを抱え続ける、
しかし、「仕方がないから、何年も、何十年も続けている」

こういう場合、そこにいてはいけないし、次の仕事(ひいては生きかた)を探すのがよいだろう。
しかしそいう人に限って、なぜか「そこを離れる」という選択肢がないのである。
会社組織の持つ根本的な性質や、日本人の義理堅さや、空気を読んでしまうようなところが悪く働くと、そうなるのかもしれない。

ともかく、
「仕方がないから耐えます、がんばります」というのは、
時として「視野が狭くて他の選択が目に入りません」「他の選択肢を探すのめんどくさい怠け者です」
とも言えるのである。

職場の不満を口にするのも悪くはないだろう、でも、散々不満を言った後に
「だから自分は、状況を打破するために、視野を広く持ち建設的なアプローチするぞ!」

と、言ってもらいたい。

【意味のあること、自分の鍛えられること、おもしろいこと】

それらをするために、あなたは自由に動くべきだ。
本来、我々はその自由を持っているのだ。

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最強ライバル

「ライバル」というのは、時として非常に効果的だと思う。

自分の能力を上げるのに、もしくは、やる気を高めるの効果的だ。

「あいつがあんなに頑張っているのか・・・。負けてられるか!」
みたいな。

私にも「ライバル」と言える存在はいた。
受験の時などは特にそういう存在がいた。

いわゆる美術大学はそんなにたくさんは無い、こぞって受けるのは5つの大学ぐらいか。

しかも、合格する人数は多く無い。
予備校生みなライバルである。

それは、緊張感があり、たまらなく楽しかった。

しかし、最近思うのは、最強のライバルは過去の自分だと思う。
自分の英語勉強記録や日記などを見返して

「うわー、このころはこんなにやっていたのか」
「そのうえ、毎日66分も〇〇トレーニングしていたのか」

などなど。

油断ならぬ強敵だ。
負けるわけにはいくまい。

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記憶しない生き方って、どうなのか?

デジタルネイティブ、という言葉があるらしい。

物心ついた時に、すでにインターネットが完全に普及して、ケイタイ(さらにはスマホ)でネット接続できたり、そんな世代のことである。

フィルムカメラを触ったことのない世代といっても良いだろう。
私は、最後のアナログ世代であり、後にデジタルに対応した人間だろう。(もっとも完全には対応しきっていないかもしれないが)

両方の感覚が理解できる。
フィルムカメラや暗室での現像も体験したし、デジタルカメラやフォトショップも体験している。

だからよくわかるが、そろそろ記憶することが無意味に思われる時代になっているかもしれない。

なんでも、その場ですぐ調べられる。

人は、覚える必要がないと判断すると、覚えないのが普通である。

記憶は外部化して、自分の脳には蓄積されなくなる。
すぐに調べられるし、すぐに回答が得られるのだから。

デジタルネイティブは、記憶の外在化を徹底している世代と言えるかもしれない。

これは、おそらくそれ以前の世代と大きな感覚的なあると思う。
そして、思考そのものに結構重大な影響を及ぼすのではなかろうか。

いくらすぐに情報が得られるといっても、自分の中に消化して納めた情報とは質が異なる。
デジタルネイティブはその質の差も、実感する機会がほとんどないのだ。

この隔たりが明確に意識されるのは、少々先かもしれないが、学校の先生など、一部の人は気づいていのでないかと思う。

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楽勝ビジネス!

多くの者が、当たり前のように大学まで進み、また、多くの留学生がやってくる日本では、
全く学ぼうという意思のない生徒・学生が増加しているようである。

ビジネスとしては、好都合だと思う。
全く学ぶ気がなくても、高校(大学)ぐらいは行こうね、という雰囲気だと、少子化でも、高校や大学はそれなりに生徒・学生がやってくる。
それに少子化の不足分は、留学ビザで出稼ぎしようね、という学生が大勢押し寄せる。

宣伝などいらない。内容などどうでもいい。
「高校やってます!」「大学でっせ!」「うちは専門学校ですよ!」

それだけで、それなりにお客さんはやってくる。
しかも、何かを学びたいからやってくるという人は少なく、学校やコースによっては、そいういう生徒はもはや一人もいない。
宣伝費はあまりかからず、それでいて、内容もどうでもいい。(どうせ、聞かないのだから)

こんな楽な商売はないと思う。
適当なものをいい加減に作って、それでもみんな一応お金を出して買う。
そして、全く使わないか、そもそも使い方もわからない、もしくは使い物にもならない。
それでも、別に使う気がないのだから、表面上かっこよければ、文句も言わない。

かっこうや体裁は、いくらか重要だ。
最もレベルの高い教科書を買わせて、大量の宿題を出しておけばよかろう。
課外授業もやってます!

そういう体裁は大切だ。
そこを外さなければ、お金儲けができる。

う〜ん、私はその手のお金儲けはできないね。
あるいは、そういうお金儲けの付き合いで働くことはできないね。

私は教える人間がまるでやる気なしだったら、お手上げだし、そもそも教えることをやめてしまいそうだ。
私は生徒・学生が何かを、少しでも効率的に学ぶことをサポートすることに意味を見出しているので、お金をもらうからには、その実感がないと続けられない。
少なくとも、学ぶべき価値がありそうなことを提示することはしたい。
それでも受け付けてくれないなら、また気が向いた時に来てください、という方が健全だと考えている。

気が向いて、学ぼうと思って来てくれた人は、きちんと学ぼうとするのが普通だから。

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