山口功のブログ雑記
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教育現場の技術

教育の場には、いろいろな技術が存在する。

例えば、英語の授業の場合、

1、先生の英語力
2、先生の英語を教える技術
3、先生の生徒のやる気を出させる技術
4、生徒の習う技術
5、生徒の授業時間外での学習力

最近、
1はそれほど大きな要素ではないと思う。英語の先生の英語力がいかがなものかという問題が提起されることがあるが、別に先生が英検1級でも、英検2級でも、生徒からすれば大した違いはなかろう。
もしかしたら、先生自ら英検1級に向けてガンガン勉強している姿勢自体には意味があるかもしれない。

2もそこそこ大切だが、これが極限まで上手くても、生徒にやる気がなかったり、授業以外では1分も勉強しませんというスタンスだとお手上げだろう。

3はかなり重要だが、生徒との相性もあるし、なかなか難しい。
これが上手ければ、あとは、生徒は勝手にやって勝手に伸びていく。
先生としての理想を突き詰めると、この技術が残るのではなかろうか。

生徒の側からすると、自分の能力を向上させる上で、4があると有利になる。
この意識のある生徒は少ない。
高校までは強制的に次から次に授業を浴びせかけられるような状態であり、習う技術など考える気もないのが普通である。しかし、それは大きな損失だろう。
大学・社会人と進んでいくと、この技術の重要さに気が付いたりするものだ。

5は何を学ぶにも重要なことである。
先生に習っている時間は25%以内にするべきで、その3倍は自分でやれるところまでやる。
習っていても「自分でやれるところまでやり続けるという」覚悟がある人のみ、技術を本当に習得できるのである。
生徒が主体になっている状態と言ってもいいかもしれないが、生徒側からすればこれを目指すべきだ。

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バランスを考える

「全体のバランスをとる」

という視点を忘れてはいけない。

例えば、受験勉強の場合、志望校の最低合格点以上をとることを、第一の目標とする。
そして、それが国語60点、英語60点、社会60点だとする。

そして、自分が過去問を解いたら、国語65点、英語40点、社会40点だったとする。

あと半年あるとすると、ほぼ全てのエネルギーを英語に投入するべきだろう。

そして、英語のなかでもどこがもっとも足を引っ張っているか、分析してみる。

単語力なのか、文法力なのか、それらがそこそこわかっていても、長文を読むのが遅すぎて間に合わないのか、そもそも時間無制限でも無理なのか。はたまた、リスニングがだめか、スクリプトを見れば理解できるのか。

弱点を強化していく。

社会はもう少し試験が近づいてから一気に片付けるとか、時系列でのバランスも考える。

何にどれくらい時間がかかるのか、暗記しなくてはならない総量はどのくらいか、それを把握するために、少しだけ手をつけてみるのもよいだろう。
計画の精度が上がり、バランスをよりきちんと取れるようになる。

人生も、それと似ていると思う。

仕事・生活・趣味
5年後・10年後・30年後

然るべき理想に向けて、バランスを考えつつ、取り組んでいるだろうか?

エネルギー配分は?
時間配分は?

バランスをとる努力をしているだろうか?

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環境を整えるということ

勉強なり、何かしらの技術に磨きをかけるなり、あるいは、何か作品作るとか、
そういうことをするためには、「環境を整える」ということがかなり大切である。

受験生が勉強をするために、わざわざ図書館に行ったりするのはその環境を整える意味が強い。

世の中にはわざわざ勉強用に月極めのワンルームマンションを借りる人すらいる。
伝説のTOEICブロガーMさんは、そんなことまでして、集中して勉強する時間を確保して目標900を達成したらしい。

「自宅にいるとよからぬ邪魔が入りますから」

とのこと。
サラリーマンで、家族もいればより積極的な環境づくりが大切かもしれない。
ことに大人であれば、多少のお金を払う覚悟も必要だ。
自分への投資ともいえるだろう。

ということで、この土日各4時間、一人淡々とトレーニングを行うために森の中の施設へ。

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極めてみるという発想

1つの技能を極めると、「技能を極めるということ」それ自体を自動的に習得することになる。

そして、その過程で「自分」と向き合うことになり、(それなりに)自分を知った状態になる。

そうすると、他の技能を身につけるの非常に容易とは、いかないかもしれないが・・・。
少なくとも極めている状態や、その過程を明確にイメージできるので、無駄なことはぜず、効率的にトレーニングできるものだ。

忙しくいろいろな、勉強・趣味・取り組み方(仕事術とか勉強法みたいなもの)を、さらさら〜と、渡り歩いている人は、実は何も極められないことが多く、結果的に表面的なところを滑っていっているだけになっている。

まずは、ごくごく限られた範囲(この1冊のうすい問題集だけとか、腕立て伏せだけとか)に絞り、極めた状態を体験することをオススメする。
楽しかろうが、そこそこできるようになっても、辛くなろうが、嫌になっても、飽きても、とにかく愚直に繰り返し、「極めること」を経験されたし!

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必要なら全力で脱出しろ!

会社をすぐ辞めてしまう人が問題になっている。

叱られたから嫌になってやめるとか、朝起きるのが辛いので辞めるとか、

まあ、そのような場合は社会人として、とにかく「耐える」方がいいかもしれない。
慣れていけば辛さも軽減されるし、その過程で自分が成長できるから。

確かに、すぐ辞める人は問題かもしれない。

しかし本当に深刻な状況というのは、

仕事にも馴染みこなしているが、会社のやり方に根本的な疑問を感じており、
しかも自分の頑張りがまったく反映されず無視されて、話し合いにもならない、挙げ句の果てに不当な扱いを受ける。
わけのわからぬ派閥争いのおかげで、本来の仕事そのものに支障が出ているし、改善されれない。井の中の蛙の、蛙の戦いがメインの仕事になっている。
そもそも、おもしろくもない、自分が成長できるチャンスもほぼ皆無である。
そして、はじめは希望や理想を持って就職したのだが、結果として職場の不満だけを抱え続ける、
しかし、「仕方がないから、何年も、何十年も続けている」

こういう場合、そこにいてはいけないし、次の仕事(ひいては生きかた)を探すのがよいだろう。
しかしそいう人に限って、なぜか「そこを離れる」という選択肢がないのである。
会社組織の持つ根本的な性質や、日本人の義理堅さや、空気を読んでしまうようなところが悪く働くと、そうなるのかもしれない。

ともかく、
「仕方がないから耐えます、がんばります」というのは、
時として「視野が狭くて他の選択が目に入りません」「他の選択肢を探すのめんどくさい怠け者です」
とも言えるのである。

職場の不満を口にするのも悪くはないだろう、でも、散々不満を言った後に
「だから自分は、状況を打破するために、視野を広く持ち建設的なアプローチするぞ!」

と、言ってもらいたい。

【意味のあること、自分の鍛えられること、おもしろいこと】

それらをするために、あなたは自由に動くべきだ。
本来、我々はその自由を持っているのだ。

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最強ライバル

「ライバル」というのは、時として非常に効果的だと思う。

自分の能力を上げるのに、もしくは、やる気を高めるの効果的だ。

「あいつがあんなに頑張っているのか・・・。負けてられるか!」
みたいな。

私にも「ライバル」と言える存在はいた。
受験の時などは特にそういう存在がいた。

いわゆる美術大学はそんなにたくさんは無い、こぞって受けるのは5つの大学ぐらいか。

しかも、合格する人数は多く無い。
予備校生みなライバルである。

それは、緊張感があり、たまらなく楽しかった。

しかし、最近思うのは、最強のライバルは過去の自分だと思う。
自分の英語勉強記録や日記などを見返して

「うわー、このころはこんなにやっていたのか」
「そのうえ、毎日66分も〇〇トレーニングしていたのか」

などなど。

油断ならぬ強敵だ。
負けるわけにはいくまい。

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記憶しない生き方って、どうなのか?

デジタルネイティブ、という言葉があるらしい。

物心ついた時に、すでにインターネットが完全に普及して、ケイタイ(さらにはスマホ)でネット接続できたり、そんな世代のことである。

フィルムカメラを触ったことのない世代といっても良いだろう。
私は、最後のアナログ世代であり、後にデジタルに対応した人間だろう。(もっとも完全には対応しきっていないかもしれないが)

両方の感覚が理解できる。
フィルムカメラや暗室での現像も体験したし、デジタルカメラやフォトショップも体験している。

だからよくわかるが、そろそろ記憶することが無意味に思われる時代になっているかもしれない。

なんでも、その場ですぐ調べられる。

人は、覚える必要がないと判断すると、覚えないのが普通である。

記憶は外部化して、自分の脳には蓄積されなくなる。
すぐに調べられるし、すぐに回答が得られるのだから。

デジタルネイティブは、記憶の外在化を徹底している世代と言えるかもしれない。

これは、おそらくそれ以前の世代と大きな感覚的なあると思う。
そして、思考そのものに結構重大な影響を及ぼすのではなかろうか。

いくらすぐに情報が得られるといっても、自分の中に消化して納めた情報とは質が異なる。
デジタルネイティブはその質の差も、実感する機会がほとんどないのだ。

この隔たりが明確に意識されるのは、少々先かもしれないが、学校の先生など、一部の人は気づいていのでないかと思う。

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楽勝ビジネス!

多くの者が、当たり前のように大学まで進み、また、多くの留学生がやってくる日本では、
全く学ぼうという意思のない生徒・学生が増加しているようである。

ビジネスとしては、好都合だと思う。
全く学ぶ気がなくても、高校(大学)ぐらいは行こうね、という雰囲気だと、少子化でも、高校や大学はそれなりに生徒・学生がやってくる。
それに少子化の不足分は、留学ビザで出稼ぎしようね、という学生が大勢押し寄せる。

宣伝などいらない。内容などどうでもいい。
「高校やってます!」「大学でっせ!」「うちは専門学校ですよ!」

それだけで、それなりにお客さんはやってくる。
しかも、何かを学びたいからやってくるという人は少なく、学校やコースによっては、そいういう生徒はもはや一人もいない。
宣伝費はあまりかからず、それでいて、内容もどうでもいい。(どうせ、聞かないのだから)

こんな楽な商売はないと思う。
適当なものをいい加減に作って、それでもみんな一応お金を出して買う。
そして、全く使わないか、そもそも使い方もわからない、もしくは使い物にもならない。
それでも、別に使う気がないのだから、表面上かっこよければ、文句も言わない。

かっこうや体裁は、いくらか重要だ。
最もレベルの高い教科書を買わせて、大量の宿題を出しておけばよかろう。
課外授業もやってます!

そういう体裁は大切だ。
そこを外さなければ、お金儲けができる。

う〜ん、私はその手のお金儲けはできないね。
あるいは、そういうお金儲けの付き合いで働くことはできないね。

私は教える人間がまるでやる気なしだったら、お手上げだし、そもそも教えることをやめてしまいそうだ。
私は生徒・学生が何かを、少しでも効率的に学ぶことをサポートすることに意味を見出しているので、お金をもらうからには、その実感がないと続けられない。
少なくとも、学ぶべき価値がありそうなことを提示することはしたい。
それでも受け付けてくれないなら、また気が向いた時に来てください、という方が健全だと考えている。

気が向いて、学ぼうと思って来てくれた人は、きちんと学ぼうとするのが普通だから。

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防水ブルーツゥーススピーカー導入

少人数の授業でいちいちCDコンポを持っていくのは面倒だと思い、ブルーツゥーススピーカー「M4」を購入。
これだと、ウォークマンからいきなり音を出せる。

ところが、このところ授業でのスピーカーの登板回数自体少なく、結局お風呂で放送大学の講義を聞くのに大活躍している。
パソコンでストリーミングしつつ、音をスピーカーに飛ばす。
スピーカーは防水だから、お風呂でも聞けるというわけである。

授業が、いつでもどこでも聞けるというのは、ものすごくいい時代だと思う。

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授業形式は効果的に選べ

アクティブラーニングが高らかに賞賛されている。

私は美術(実技)を教えることがあるが、それははじめからアクティブラーニング以外の何者でもない。
今更強調されるまでもなく、すでにやっていることになるだろう。

実技ではない「座学」に分類されるような授業を担当している先生は、必死になってアクティブラーニングを取り入れようと思われる。

しかし、授業の形式ばかりに注目するのはよくないだろうと、思う。

私は短大で教えつつも、自らが大学生でもあり、授業を受けることもある。

つまり授業を受ける側としても、日々思うところがある。
無理やり、たどたどしくグループワークのようなものを入れられると、どうも学んだ気がしないことがある。

それよりも、先生の専門家としての生の話を聞きたいんですが…。
という気持ちになることも、事実あるのだ。

つまり、あまり効果的でない形で、とか、生徒学生のニーズを鑑みずに
「この授業形式を入れないとよくないので入れます!」

となってしまってはいけないだろう。

落語聞きにいって、噺家が
「それでは隣の人と自己紹介して、最近あった面白い体験を20分ずつ交互に話して下さい」

と言われたらそれは、たぶん噺家の落語を聞いているよりも面白くない展開になりそうだ。

もちろん、グループワークのようなものを取り入れた方が良い時もある。

アクティブラーニングは、あくまでも授業形式であり、選択肢の1つだということだ。

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センター試験だ!

本日と明日はセンター試験である。

ごく少人数ながら、英語を教えている生徒が受けているので、私もなんとなく緊張したりする。

私は2浪したので、センター試験を3回も受けているのであるが、その頃の英語力はまったくお話しにならず、shouldという単語の存在を知らず、受動態がbe動詞+ppで表現されるということも知らなかった。

従って、問題をみてもわからないので、開始早々ランダムでマークして(TOEICer的には塗り絵という行為です)あとは寝ていた。

それが、私が受けたセンター試験3回とも、そのような状況であり、2浪している間に受動態が作れるようになったり、shouldに出くわしたりすることがなかったのである。

それでも私が桁外れに高倍率の大学に入学できたのは、それが美術の大学で、実技試験命のところであったからだ。
すなわち、センター試験は受けたという事実のみが必要だったのである。

しかしその後、独学で英語を勉強して、TOEICも900を越え、英検準1級も合格した。
それから英語を教える事情で、自分が受けた3回分を含めて、過去問を受験生のように30回分も解いてみると、その試験のクオリティーの高さに感心する。

センター試験は、長文の内容、試される文法項目は、TOEICよりも振り幅が広い。
それでいて、あまり癖が無い。

長い英語学習の「中ボス」として、適していることは認めざる得ない優れたテストだと思う。

今日どんな問題が出るのか、早くみてみたい。
私も受ければ良かったかな。

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「楽しい・楽しくない」より「覚悟」を!

「面白いからやります」
「楽しそうだからやります」

というのは、裏を返せば、

「飽きたからやめます」
「苦しくなってきたからやめます」

ということをに繋がると思う。

そういう人は、半年ごとに趣味を変え、半年ごとに専攻を変え、半年ごとに転職すると幸せに生きていけそうだ。

しかし、おそらく何も実りがなさそうだ。
表面を滑っているだけの生き方になりかねない。
もっともそれで幸せなら、それはもはやある種の境地に達しているのだろう。
実るまでもなく、もう幸せみたいな。

大切なのは何か目標を決めて、その目標達成に必要だから、これをやっているという意識だろう。
そして、必要な技術修得やプロセスを進めることに対して「楽しい・楽しくない」はどうでもいいことである。

「自分で決めた計画上、やることになっているからやります」
「必要だからやります」

そのような覚悟を決めれば「楽しい・楽しくない」は些末な要素でしかないと感じられるものである。

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神様の力に頼らずとも勝つ覚悟

御慶!永日!

なにかと玉先生からの出典がおおくなっておりますが、この発想はなかなかいいな!と思ったことがあったので、紹介してみる。

天満宮などに行って合格祈願をする受験生も多いいだろう。
しかし、本当の自分の力だけで勝ちたいと思っている受験生は、神様の力を使わずに勝つつもりなので、合格祈願などはしない。
もし仮に自分が合格した後に、塾の先生が自分の代わりに合格祈願に行ってくれていたというのを知ったら、その受験生は「あ〜、なんだ〜、私の合格は自分の実力じゃなくて神様の力だったのか〜」と思い、がっかりするだろう。

だから玉先生は天満宮には行くが、神様には「落ちそうな受験生は落として、受かりそうな受験生が受かるようにして下さい」とお願いするらしい。

ことに受験は、最終的には自分1人で戦うという覚悟が必要である。

たぶん、途中までは団体戦かもしれない。
親と、クラスの友達と、先生とのチームプレー

しかし、本番が近づくに従って個人プレーになる。

受かる実力を付けて、しかるべき合格を勝ち取る。
まぐれで受かるのは決して誇れることではなく、他の受験生に対しても、大学に対しても、社会に対しても恥ずかしいことである。
神様が「君は頑張っているから本当は3点足りなくて落ちる予定だけど、それを足して受からせてあげるよ」と言われたら「その足りない分はこれから本番までの12日間、自力でなんとかしますから、余計なことはしないで下さい!」というのが本物らしい。

確かに、そのくらいの覚悟はなくてはなるまい。

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持ちネタを増やす意識

勉強を実りのあるものにするには、

「持ちネタを増やす」

という意識が大切である。

例えば、噺家(落語家)が、師匠から「子ほめ」を教えてもらって、それを高座で演じる。
そして、次に「豆屋」の稽古をつけてもらって、それを演じるころには「子ほめ」は忘れかけてて演じられなくなる。
次に「じゅげむ」を稽古する、その時には「子ほめ」はすっかり忘れて演じられず「豆屋」も忘れかけている。

常に、今習っていることしか出来ない状態になる。

というのは、あまりよろしい状況ではない。もちろん、成長はするのだが、それは限定的である。

「じゅげむ」の稽古をしている時にも「子ほめ」「豆屋」は持ちネタとして、すぐに演じられるようにしておくべきである。

もっとも、学校の勉強とかだと、そういうことを考える余地も与えられないほどに、次々に教材や課題・宿題を与えられて、それを追いかけるので精一杯ということになってしまうかもしれない。

ことに受験では「持ちネタ」が試されるので、いくらたくさんやっても、持ちネタになっていなければ、解ける設問は常に1つのみ、みたいなことになってしまう。

そのあたりを考えられると、受験はもとより、あらゆることに確かな技術を身につけることの出来る人になれる。

ひいては、必要性に追いかけられるだけの人生から脱することがでる。

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「尊敬のし直し」by玉先生

玉先生の「マジ玉ラジオ」を聞いていて、確かにそうだな、と思ったことがある。

要約すると、

「パートナーをバカにしている夫婦は、長い目で見ると双方とも幸福であるとは言えず、子育てにも良い影響はでない」

ということ。

確かに、奥さんがひっきりなしに夫の無能さを宣伝しまくっている、なんてこともあるかもしれない。(しかも夫が目の前にいてそういうことをする)

もちろん、その逆もあるだろう。

そういえば、漫玉日記(玉つながりで…)でもそんな描写があった。
レストランに入った時に隣のテーブルの夫婦がそのような感じだったので、イライラして食べる気がしなくなったみたいな。

確かに、そういうのは、いかがなものか、と。
まわりや、けなされている方も当然だが、もしかしたら、けなしている方も不幸なのではなかろうか、と。

玉先生が言うには「パートナーはほめて育てる」くらいに思っておいた方が良いとのことであるが、それはまさにその通りなのだが、この行為を「尊敬のし直し」でもある表現したところに、これはなかなか深い意味が込められているな、と思ったわけである。

まあ、自分の意見を建設的に相手に伝えるということは大切であり、おだてているだけでよいというわけでないのであるが、根本的な姿勢にこのような感覚があるペアは、はたから見ていても気持ちのいいものである。

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努力をする余地があるかどうか?

一般的な話として、将来のことに対して不安を感じることなどが、多くの人にはあるだろう。

その時に「不安」を分類することが大切だと思う。

「大学入試で失敗するかもしれないという不安」であれば、それは努力の余地が大きい。

具体的に何点必要で、何点足りないのか、どこが点を上げやすいか、あと何日で、どういう教材にどのように取り組むのが効果的か、それは、計画が立てられる。計画を立てたら不安は和らぐだろう。まあ、そのあと計画を実行に移す必要はあるが。

では「就職先の上司と相性がいいかどうかという不安」ならどうか、

この不安に対しては努力があまり出来ない。

で、その場合はどうすればいいか。

「まあ、相性のいい上司に出くわすだろう」と楽観的に考えることが大切である。

この場合、ポプランの名言じゃないが「人生を甘く見ること」が非常に重要で、努力でどうにか出来ない状況では、楽観的に考えられる人間の方が結果的にうまく生きることが出来るし、何事にも成功する確率が高い。

「人生は甘くない」と主張している人は、結果的に常にストレスを受けて、やるべきことがコンスタントに出来ず、さらには挑戦することも避ける傾向にある。あまり幸福な人生は送れなそうだ。

出て来た結果に対して、対策できるところは対策すればよいし、改善するところは改善してまた、ぶつかっていけばよい。

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学校の役割を見直してはどうか?

このところ、学校教育が事実上機能していないか、
機能していても、ものすごく効率の悪い状態であると感じている。

はっきり言ってしまうと、教科の勉強は各人自分でやっているときが最も効果的に力を付けられる。
一から十まで一斉授業する意味は無いだろう。

中等教育のすべきことは、
1 各教科の紹介や、魅力を伝える。(馴染ませたり、憧れさせたり、など)
2 独学で勉強するための技術を教える。(実例を紹介したり、とか)
3 独学で充分やって、それでもわからないところのみピンポイントで教える。

が、いいのではないでしょうか?

そして、部活や集団生活などは、民間の外部団体に委託するなりなんなりする。
学校の先生の負担は激減するし、生徒の能力も(少なくとも今よりは)上がるだろう。

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プロなら本番直後に気を抜くな!

終わった直後に、気を抜かない人はプロだ!

受験でも、個展でも、試合でも、発表会でも、提出日でも、何でもそうだが、いわゆる本番が終わると気が抜ける人がいる。

というか、多くの人はそれを区切りに気がゆるみ、油断もするのである。

そういう時が最も危険である。
そういう時に歩みが止まる。

そういう時でも、油断無く、ペースを乱さずにやるべきことをやり、次の目標に向けて歩みを進めることが出来る人が一流なのだろう。

本番は節目ではあるが、しかし、あくまでも通過点だと肝に銘じておいた方がいい。

別に本番が終わると同時に死ぬわけではない。

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試験の作風

定期テスト、大学入試とか、各種検定、それぞれに「作風」というものがある。

英語のテストなら、とにかく英語の実力を試しているのだろう、とだけ考えてはいけない。

○○先生が作る定期テストと、××先生が作る定期テストの作風は違う。
TOEICとセンター試験と英検は作風が違う。

これはどちらが難しいか、という問題とは別次元の話である。

そして、作風の振り幅のようなものもある。
TOEICは振り幅が狭く、センター試験の方が振り幅は大きい。

作風を熟知していると、出題されている長文の1パラグラフだけを読んでも、どの試験からの抜粋かわかるようになる。
絵の一部をトリミングして、見せられても「この絵はダリですね」とか「カンデンスキーですね」とか言えるように。

「だから、何なんだ?」という程度の話であるが、世の中にはそういう楽しみ方で試験を受ける人々もいるのである。

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どこが「完成」なのか。

インターネットに接続されると、何でも更新可能になる。
これは、素晴らしいことではあるけれど、常に流動的な状態になる。

例えば、絵画作品であれば、描き終えたら、それ以上加筆はしないのが普通であり、ましてや売れたりして、自分の手を離れたりしたものは、それっきりである。
そして、当然それっきりだ、という気持ちで完成させているわけである。

ところが、人の手に渡ったあとも、たびたび出し抜けに訪問して加筆したりしたらどうだろうか。
「また、ちょっと直させて下さい」みたいに、いきなり来てちょこちょこ加筆していくのである。

これは迷惑とも言えるが、もっと問題なのは「ま、あとから直せばいいか」という気持ちが始めから生じてしまうことにあるだろう。

筆を置いたら、それ以後は動かせないのだ、という覚悟が作品の完成度を高めるのではなかろうか。

このところの、オンラインゲームなどは、どうもそんな気がしてならない。
ゲームは作品であり、やはり明確な「完成」を大切にしてもらいたいと思う。

まあ、好みの問題もあるのでしょうが。

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電車という裏口ルート

先日、久々に電車に乗った。

いつも車で行っている町でも、電車で行くとひと味違う。
裏口から入っていくような感じがあって、駅から出たときに、まったく違う町のごとくに感じられる。

都市部で生活していたら、電車の方がメインのルートで、車などが裏口ルートになるのかもしれない。
地方でも、車の免許が無い高校生以下と車を常用する大半の大人は違う感覚だろう。

そして、電車はすぐ近くに知らない人がいる、という感覚があるなーと、思った。
どちらかと言えばかなり空いている部類の電車であったが、それでも日常で近くに知らない人がいるというは、スーパーのレジで並んでいるときぐらいであるから新鮮だ。

ラッシュの山手線など、慣れてたのでなんてこと無かったが、慣れてなかったらかなりストレスの大きいことなのだろうと思う。

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気になる電波塔のある山

家の前から見ると、数十km先にある山の山頂付近に、電波塔のようなものがいくつか立っている。

前の冬に雪が降った時に、その辺りは積もっていた。

ふとこの前も、その遠くにある電波塔が目に入った。

電波塔から、こちらを見てみたくなった。
電波塔があれだけ立っているということは、それなりの道があるはずである。

さあ、行ってみようか。

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スタッフのフレンドリーさ

フレンドリーな店員がいるお店とか、スタッフのいる施設などは、その場のノリで短い世間話の1つでもすることになる。
そして、利用し終わったあとに、感じのいいところだったね〜、と思う。

何度か行くと当然覚えていてくれるて、また少し話したりする。頻繁に利用するようになる。

だから、スタッフは愛嬌がよく、利用者を良く覚えていて、世間話の1つでもするのが、良いことだと思われる。

が、しかし、

そうなると、時として、その施設に行く気がしなくなるときがある。
他人を意識すること無く過ごしたい時、そういう店や施設には行く気がしない。

店員が自分のことをおそらく覚えているであろうが、基本的に淡々としてて、愛嬌が最小限でクールで、そして、余計なことはいっさい言わないし、聞かない。

そんな場所は、そんな場所でありがたみがあると、思う。

そういえば、私の古い知り合いの1人は、1度行った美容院は2度といかないらしい。
彼は、他人を極力意識することなく、髪を切ってもらいたいのだろう。

彼は東京住んでいるので、髪を切ってくれるところが多いから、一生その方針を貫けるだろう。

でも、自分で切るのがもっとも気兼ねが無いね。
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在庫の消費がなかなかしんどい

家に溜まっていた、賞味期限が切れかけもしくは、切れているレトルト食品、○○の素、乾麺などを年内に消費する計画を始めて一週間ほど経過する。
積極的にこうしたものを食べているが、当然、残り続けているものだけあって、好物ではない。
好物のレトルトや缶詰などは、とっくに食べてなくなっているのであるから…。

食欲を落としながらも、どうにか20%くらいは減ったと思われる。

と同時に、非常用の備蓄食料の選定も開始している。そして、普段水など買わないが、2ℓのペットボトル水をチョコチョコ買ったりしている。
左でも右でも震度6クラスの地震が起きたりしているので、非常事態に備えて、5日くらいは篭城出来るようにしておいた方が安心だ。

レトルト・乾麺の消費作戦を年内には完了させて、そのスペースの50%を備蓄食料にあてる。

非常食は好物で固めた方がいいね。
非常時になる前に無くなったりして。
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保存食品の消費計画始動

インスタント食品や、缶詰、〜の素、などを整理しようと計画する。
このところ、徐々に消費してはいるので減ってきているが、残り続けるものもあるにはある。

そのまま賞味期限が切れかかっていたりするので、ここらで積極的に食事に取り入れていこうというわけである。
計画では、1.5ヶ月の間に、どんどん食事・料理に利用していくことになる。

使うのにはある程度の工夫が求められる場合もあるので、料理のヴァリエーションがやや増えるだろうし、食費もわずかに減るはずである。

計画が終了したら、空いたスペースの一部に備蓄用のアルファー米を12食分くらい入れる予定。

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