山口功のブログ

本の重さや厚みから、読み感じ取る全体

本を読む時には、重さと厚みで、全体を把握せよ!

当たり前のことであるが、一冊の本に載せられる情報量には限界がある。
何を載せて、何を載せないのか、そして、全体のバランスは著者や編集者が練りに練っているはずである。

つまり、一冊の本を全体として把握することは大切だ。
言い換えれば、部分を読みつつも、全体を意識するということである。

腕や指先で感じる、重さや厚みは、常に全体を伝えている。

スマートフォンで情報を得ることに慣れ親しんでいると、この感覚を無視しがちである。
しかし今こそ、重さや厚みにも、敏感になるべきではなかろうか。

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雑記

枚数は88パーセント 記憶したのは53パーセント

6年前くらいから、単語カードを作りはじめ、1日120か240枚(まれに360枚)チェックし続けている。
それも、1日も欠かすことなく。

カード自体は現在12700枚程度である。

6年前に立てた計画だと、14400枚作ることにしていたので、全計画の88パーセントの量になった。
ただ、作ったばかりでは意味がなく、記憶できていなくてはならない。

現状では1回見ただけで、すぐに発音と日本語の意味が出てくるカードは60パーセント程度。
つまり、6年かけて記憶できたのは7620枚ということになる。

1日平均3.5枚といったところか。

計画した枚数を攻略するには、あと、5年4ヶ月を要する計算になる。

もっとも、覚えかけのカードもそこそこあるし、作る方は9割方終わっているので、実際にはそれより1年程度は早く終わるのではないだろうか、と期待している。

ペースを守り、淡々と続けていけばよい。
気がついたら、14400枚のカードを暗記しているだろう。

ちょっとした習慣が、積み重なると大きな力になる。

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英語

「よほどの天才か、教育に理解のある裕福な家の子供」に託すしかないのか!?

学校は教育機関としては機能不全になり、いまや子供にとって有害なのではなかろうかと思う。
では、民間でそれに代わることができるかというと、それは難しいだろう。

よほど教育に関して理解力があり、かなり裕福な家庭の子供のみを対象に行うことはできるかもしれないが、それ以外の家庭を対象にはできない。
金額的に高額になりすぎる。

ということで、教育は公的な教育がメインであることは間違いない。

ところが、悪しき学校文化は、かなり根強いようで、それを変えるのは非常に難しい。

以下、現状の悪しき学校文化。

・ 実質的に生徒が意見を述べることを禁じている
・ 生徒の学習を内容・手法・進め方を一律に細かくコントロールしようとする
・ 一斉に授業をし、同一の宿題を出す
・ 生徒の裁量をほとんど認めない
・ 生徒の理解よりも、書かれたノート・プリントを重視
・ 進学率や就職率という数字が大切
・ オンライン授業など、新しい手法を取り入れない
・ 出席日数を重視する
・ バブル期の感覚で進路指導をする
・ 教科内容の理解よりも、従順な生徒を評価する
・ 生徒に、部活に入らないという自由を与えない
・ 先生はむやみに仕事と責任を抱え込み(増やし)、仕事の効率化を良しとしない
・ 良い先生というのは支配力の高い先生、という認識がある
・ 先生自体が勉強しないか、勉強している余裕がない
・ 保護者からのクレームに配慮した採点基準を作る
・ 若手の先生の給料が安いし、残業代は一切出ない
・ 若手の先生は権限がないし、意見も出しにくい
・ 先生の自腹が多い
・ 担当の部活によっては、大型免許を必要とし、運転に対する責任も負わされる
・ 間違った平等主義のために、生徒に同調圧力を植え付けている

もっとありそうだが、とりあえずこんなところか。
このような学校文化の中で育つと、現代社会を生きていくのは難しい人間になりそうだ。

実質的には公教育しか充実した教育を提供できないのに、蓋を開けたら教育よりも、学校文化に染める上げる場になっている。

これからの日本を支えたり、世界的に活躍する人材は、よほどの天才か、教育に理解のある裕福な家の子供、に限られそうだ。

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雑記

薄く関わっておく

スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学で行なった講演で、

"Don't settle !"

と言っている。
「落ち着いてしまうな!」みたいな感じか。

新しい領域に踏み出さず、日常やっていることをそのまま続ける。それは、ダメということだろう。

私は、落ち着いて淡々と何かに取り組むことは良いことだと思っている。
一方、新しい何かに関わることを止めてしまう危険も感じる。

そこで、「薄く関わっておく」というスタンスが良いのではないだろうか?

例えば、
「副業なんて自分にはとてもできない」 とか
「副業で月々10万円儲けてやるぜ!」 というスタンスではなく、
「いくらかでも入ってくるかな〜」 くらいなことを継続して行なってみる。

学校の授業も、
「オンラインじゃ、本当の授業なんてできない!トラブルも多そうだし、試すだけ労力の無駄!」 とか
「いきなり完全なオンライン体制を整えて、100%オンラインで授業やるぜ!」 というスタンスではなく
「今、学校休校じゃないけど、1コマだけ、オンラインでやってみようぜ。やりながら慣れたり工夫しよう。」

とりあえず「薄く関わる」という姿勢は、これからの時代を生き抜くのに有効である。

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雑記

「怒る・叱る」は教育現場に不要!

教育に「怒る・叱る」は必要か?

人間を相手にしているのであれば必要ない、それどころか、害の方が大きいと考えている。

自分の思い通りいかない時、自分と相手の価値観が違う時、人は腹を立てて怒ったりする。
それは単なるわがままであり、教育以前に、そもそも人間関係がうまくいかないだろう。
心が狭い人、狭い世界で生きている人、独裁が許される状態で生きている人にありがちな傾向か。
学校の先生は注意すべきですね。

もっともらしい主張として「怒るのはダメで、叱るのは必要」というのがある。
しかし、怒ると叱るの線引きが恣意的で、単なる感情の爆発を人にぶつけるだけになる危険がある。

そして、教育的な効果としても、害の方が大きい。
叱られるから、言われた通りやるというのは、叱られなくなったらやらないわけで、
それだと子供(生徒)は自律する方向には進まない。

「怒る・叱る」はやめて、反対から引っ張るのが王道だろう。
良い努力や良い結果を「褒める・認める」のである。
また、怠けていたり、努力をしなかったりすることに対しては「特に反応しない」でいいだろう。
人に危害を加えるなどの場合は「事務的に反応する」というのがいいだろう。

授業中に静かに寝ている生徒は、そのまま寝かせておく。
学校で授業妨害する生徒には、帰っていただく。
人を殴ったり、万引きをしたり、放火をしたりする人がいたら、警察に通報する。

怒る必要はないし、気に病む必要もない。

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雑記

飲料水の備蓄は限界がある。ろ過器も備えろ!

災害用に、水を備蓄している人もいるだろう。
食料は無くてもしばらく生きられるが、水が無いと生存できる期間は非常に短くなる。

備蓄に必要な量は、
1人1日2〜3リットル、というのが目安らしい。

少なくとも1週間、できれば2週間は確保しておきたいとなると、42リットルあれば、まあ安心か。

4人家族なら、168リットルの水を備蓄するのがよさそうだ。

非常持ち出し袋に42リットル水を入れておこう。
市販されている、非常持ち出しセットには、0.5とか1リットルしか水が入っていないので、まったく話にならない。

しかし、42リットルは、42kgの重さなので、ある程度のタフさが求められそうだ。
また、普段からその量の水を水質を落とさず備蓄しておくのは、負担が大きい。

ということで、「ろ過器」を活用する方が現実的だろう。
5000円くらいで買うことができ、川の水などを500リットル程度ろ過することができる。

むろん、ろ過する前の水も、きれいなものを使うべきだが、片手サイズのろ過器を持ち運ぶ方が、42リットルの水を持ち運ぶよりはお手軽だ。

ただし、ペットボトルの水が使えるうちはそちらを使った方が良いので、1人6〜12リットルを備蓄し、それが尽きたらろ過器を使用して、川から水を確保する、というのがバランスが良いのではなかろうか。

空のペットボトルも水筒がわりに利用できる。

追記

OHKEY 携帯浄水器
SAWYER PRODUCTS ミニ 浄水器

が、有名どころ。
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雑記

「固定概念」と「その場しのぎ」

多くの組織や個人が

「固定概念」と「その場しのぎ」

から脱出できずにいる。

特に、子供を取り巻く環境は、「固定概念」と「その場しのぎ」に満たされている。

学校のノリは、
昔の軍隊や、大規模工場と相性が良い
受験のノリは、
終身雇用年功序列・大企業勝ち組思想と相性が良い

現場ではそれこそ子供のためと信じ込んでいるが、もはや現実社会とはズレている。

情報技術の発展や子供達の特性の変化、そこに、今回のコロナ騒動が追い討ちをかけて、現場はうまくいかない。
間違った平等主義も足を引張ているだろう。

しかし、固定概念を貫き通すために「その場しのぎ」が塗り重ねられている。
基本的に、これまでのやり方を強化する、支配力を強化するという方法が優勢。
現実世界の状況はシャットアウト!
ビジネス無知なのに、昔のビジネス感で進路指導や就職サポートをする。

新しいスタイルを模索することを拒否し続けて、従来のスタイルを固守する。

時代には対応せず、現実を見ず、冒険もせず、ただ自らの信念を守り抜くのみ!

この「不思議の国」にどっぷり浸ると、子供達は将来的に悲惨な状況になりそうだ。

さて、どうするか?

脱出したほうが良いよ。
脱出先があるのかどうか怪しいけど。

「君は、生き残ることができるか!?」

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雑記

自分の能力では測れない「良い物」を見つけられるか?

「良い物」が「良い物」だと、理解できるタイミングについて考える。

例えば高級炊飯器を買うとして、それが本当に「良い物」なのかどうか、買ってきてすぐに解る場合もあるだろうが、しばらく解らないこともある。
しばらく使って、前使っていてた炊飯器に戻してみて、そこでようやく、あの炊飯器で炊いたご飯は良かったな〜、と気がつく場合もある。

この場合は、高級炊飯器に自分の能力を育ててもらったことになる。

もしも、自分の能力で「良い物」と判断できる物しか使わなかったら、きっとこのようなことは生じない。
解ら無いながらも「良いと言われているものを試してみる、使ってみる」というのは、自分を成長させることに繋がるかもしれない。

ただし、なんでも高ければ良いわけではなく、罠もあるだろう。
この辺りは、良い物を今の自分の能力で判断するだけでなく、勘とセンスが必要だし、売っている企業や人を見定めることも必要。

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雑記

学習やトレーニングの工夫とコントロール!

放送大学の英語科目(中級)で、

「耳から学ぶ英語」

という科目を履修している。
テキスト(正式には印刷教材と言います)には15個の長文(各200〜400words程度)があり、毎日1つ10回前後読んでいる。

15日で1周終わるので、5ヶ月続けると、全てを100回読んだことになる。
実際は、5周目以後回数を若干増やすので、4ヶ月半で100回まで読み進めることができる。

現在6周目に入り、50→62回まで読み進めているところだ。

すでに50回も読んでいるので、すでにスラスラ読める。
ここからは、負荷や精度を上げるためにトレーニングに工夫が必要になる。

あえて低速で再生してシャドーイングをするとか、片耳だけでシャドーイングをするとか、できるだけ早く音読してタイムを縮めてみたり。
50回目以後は、トレーニングの工夫が上達の要になる。

学習やトレーニングは、ある程度進むと、その方法を自分で工夫し、コントロールしなくてはならない。
このような意識があれば、頭打ちになることなく、自分の能力を伸ばしていける・・・はず!
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雑記

認知的不協和を引き受けろ!

「認知的不協和」という言葉がある。

A 「俺は、犬よりも猫の方がいいよ」
B 「いやいや、犬の方が断然いいでしょ」

AとBが仲良しであればあるほど、AもBも意見を統一したくなる。
統一していないことが、非常に気持ち悪く感じるのである。
そして説得・口論、時には殴り合いなどをして、どちらかが折れることになる。

A 「・・・まあ、犬もいいよな」
B 「そうだろ、やっとわかってくれたか」

こうして、認知的不協和は解消され、Aには若干のもやもやが残る。

しかし、本来統一する必要はないのである。
犬が好きな人がいれば、猫が好きな人もいる、それでいいのだ。

親しい人との関係を長期的に良好に保つには、認知的不協和に打ち勝つことではないだろうか?

時に他人は信じられないくらい不思議な価値観や感覚や価値観や人生観を持っていたりする。
気がつけば、途端に認知的不協和が発生する。

その不協和をどれだけ保留にできるか、その人の度量が問われているのだ。

まず、意見を統一する必要があるのかどうか、自らに問うてみよ!

本当に統一する必要がある場合以外は、すべて保留にせよ!
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雑記